エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

ヴァカンス便り - シュノンソー城

フランス・ロワール渓谷流域の古城の一つ、シュノンソー城。

 

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フランス王アンリ2世の寵妾ディアヌ・ド・ポアティエ、

正妃カトリーヌ・ド・メディシスら、16世紀の創建以来、

代々女性が城主だったため、別名「6人の女の城」とも

呼ばれる優雅なお城です。

 

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ここはお城へ行くまでのアプローチから素敵。この道を歩くだけで

非日常への入口のようで気分が高まっていきます。

 

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ゆっくり歩くこと数分、お城が見えてきました。

 

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マルク家の塔がお出迎えしてくれます。

これはシュノンソー城が今の姿になる前、マルク家の

要塞だったそうで、その時の名残がこの塔。

 

中に入るとすぐに目につくのが美しいタペストリー。

 

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壁一面に16世紀ブリュッセルで織られたタペストリーが

飾られています。

 

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なんと床にも16世紀のマジョルカ焼きのタイルが・・・

さすがに人が歩く部分は色がなくなってしまっていましたが

こうした隅の方に模様が残っていて感動。

 

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こちらのカラフルな床は19世紀のタイルらしいです。

 

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小さな礼拝堂。ステンドグラスが現代風だなぁと思ったら、やはり

1954年に作られたものだそう。オリジナルは第二次大戦中の爆破で

破壊してしまったのだとか・・・あぁ、残念。

 

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イアサント・リゴーによるルイ14世の立派な肖像画。

この部屋は1650年にルイ14世がシュノンソー城に訪れた際の

居室でした。

 

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ルイ14世の肖像画より何より、目についたのはルーベンスの

「幼子イエスとヨハネ」の絵。

 

 カトリーヌ・ド・メディシスの寝室。16世紀のベッドが印象的。

 

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こちらも壁一面タペストリーで飾られ、重厚な雰囲気。

 

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ベッドの脇にはコレッジョの「アモルの教育」の絵が。

このお城も例外なく、ルネサンス期イタリア絵画で溢れています。

もう一つのコレッジョの「殉教者」は小さな図書室に

飾られていました。

 

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他にイタリア絵画で目についたのがヴェネツィア派の画家。

 

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ティントレットの「ドージェの肖像画」や

ヴェロネーゼの「女性の頭部;習作」など。

そうそう、プリマティッチョ描く「ディアーヌ・ド・

ポワティエ」の絵もありました。

 

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他にシュノンソー城を見学していて目についたのは

綺麗なお花と古い調度品との調和が素晴らしいこと。

 

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最後にディアーヌのお庭を散策し、カフェテラスでお茶を飲んで

ゆっくりしました。

 

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Buone vacanze a tutti. 

 


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絵画の中の受胎告知 3

15世紀のルネサンス期になると色んな要素を盛り込み、

非常に調和の取れた優美な構図の「受胎告知」になってきます。

 

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『ルカ福音書』には「天使が聖母マリアに会うためにやって来た」と

記述されているだけなのに、屋外の回廊や柱廊などが描かれて

室外で受胎告知が行われたように表現される傾向があったようです。

(イタリア絵画の場合、告知が花園で行われたように描いている

ものが多いのが特徴です)

 

上の絵はフラ・アンジェリコの受胎告知で1430年頃。

小花が咲き乱れる庭と美しい柱廊、そしてその庭はそのまま

アダムとエヴァがいた楽園へとつながっているようです。

そして罪を犯した2人は追われて楽園を出て行くシーンが

描かれています。

 

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足元には鮮やかに咲くバラの花が描かれています。

西欧においてバラには愛欲と純潔という正負両面の

意味があります(この辺りの詳しい説が、若桑みどり著の

『薔薇のイコノロジー』に書かれてありますので、

ご興味ある方は是非読んでみてください)

 

若桑先生の本によると「キリスト教の教義によれば、

フラ・アンジェリコが失われた楽園を受胎告知と

同画面に描いたのは、マリアが原罪をまぬかれた

『新しきエヴァ』であり、身籠るイエスがアダムの罪を償う

『新しきアダム』であることを示すため」と。

 

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またフラ・アンジェリコが描く天使の姿がすごく女性っぽい

と思いませんか。天使の性が男なのか、女なのかは

よく分かりませんが、中世の頃までは天使はどことなく

男性っぽい感じで描かれていると思うのですが、15世紀に

なると非常に女性っぽい天使として描かれています。

特にフラ・アンジェリコ描く天使は女性らしいですよね。

 

 その他アレッソ・バルドヴィネッティ描く天使も女性っぽいような・・・

 

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15世紀の後半になると受胎告知の場面はますます立派な建物内で、

当時最新の絵画理論であった遠近法を駆使した空間に描かれています。

 

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ピエロ・デッラ・フランチェスカの受胎告知。1460~70年頃。

どこまでも真っ直ぐ続く柱廊と美しいアーチが目を惹きます。
硬質な感じの建築物にひっそりとマリアと天使がいることによって
厳かな感じが漂う受胎告知です。

 

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カルロ・クリヴェッリの受胎告知。1486年頃。

これは、もう、なんというか、色んなシンボルを一気に

詰め込みました!という感じですね。

いつもの天使の横にはアスコリ・プチェーノ市の模型を持つ

守護聖人聖エミーディオが描かれているそうです。

(アスコリの自治を記念して描かれたため)

こうしてマリアと天使以外に色々な人が描かれているのも、

また珍しくマリアの部屋の中、しかも細部まで描かれているのも

この画家の特徴だと思われます。

そして目をひく美しいクジャク・・・

クジャクの肉は腐らないと古代には思われていたようで、

その考えから「不死」のイメージ、強いては

「キリストの復活」の象徴と見なされていました。

 

カルロ・クリヴェッリについては前にブログに書きましたので

そちらもよろしかったらご覧ください。

 

egotisme.hatenablog.com

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ボッティチェッリの受胎告知。これは1489年頃のもの。

ここでは何が印象的かと言えば、大きな窓から見える風景と

それまでにはなかったマリアの大きな動揺のしぐさ。

まるで舞台を見ているかのように錯覚してしまいます。

この窓から見える風景は人間のいる、現実の世界で、

手前の天使とマリアはいるのは神の領域という感じに

なっているのでしょうか。

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知です。1475年頃の作品。
またマリアが花園に戻ってきました。今回は小花よりも背景に描かれた
糸杉と松が非常に印象的です。糸杉は古代では「死の木」でしたが、
12世紀頃から聖母マリアの純潔受胎のシンボルになっていったようです。
そして松は「不死」と「永遠の生命」のシンボル。
自然に興味を寄せていたレオナルドは、何度も草花や木のスケッチを
していたので、それらを大集合させて描いたのでしょう。

レオナルドの受胎告知についても前にブログで少し触れましたので
リンクを貼っておきます。

 

egotisme.hatenablog.com

 


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絵画の中の受胎告知 2

前回「絵画の中の受胎告知 1 」で13世紀の作品まで飛んでしまいましたが、

その少し前、12世紀の受胎告知も珍しいので少しご紹介しておきます。

ヴェネツィアのサンマルコ教会にある受胎告知(モザイク画)です。

 

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泉で水を汲むマリアに、大天使がお告げに現れる場面です。

これは『ヤコブ原福音書』の「マリアは水瓶を持って泉へ行った。その時

声が聞こえた。『汝、祝福されし者よ。神は汝と共にあり。女の中で汝を

祝福したまえり』どこから声がするのかとマリアはあたりを見廻した」の

部分を描いていると思われます。声がして思わず振り向いたマリアの

少し驚いたような顔が印象的です。

ここでは鳩が描かれていないですね。また MP ΘYの文字が見えますが、

これはギリシャ語で「神の母」を表す頭文字をとったものだそうです。

 

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これはシチリアのモンレアーレ大聖堂にあるモザイク画で同じく12世紀のもの。

ここには鳩が描かれています。またマリアが糸紡ぎをしている様子。

糸を紡ぐマリアの描写は、2世紀に記された新約外典『原ヤコブ福音書』に

由来するものらしく、その中で天使は2度、マリアのもとを訪れるのだとか。

最初はマリアが泉で水汲みをしている時。

これがヴェネツィアのサンマルコ教会に描かれているのですね。

そして背後から突然呼びかけられたので

マリアは怖くなって家に急ぎ帰り、糸を紡いでいると、また天使のお告げが。

その時の様子がこのシチリアのモンレアーレ大聖堂に描かれています。

この糸を紡ぐという描写は特に東方のビザンティン芸術の特徴です。

 

そして、13世紀になると前回ご紹介したように「聖書」を手にしたマリアが

描かれるようになります。これはマリアの敬虔さを印象づける意図が

あったということでしょうか。

 

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ジョットの登場です。パドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂のフレスコ画。

14世紀初め(1305年)に完成したと言われています。

ジョットが描く受胎告知はそれまでのビザンチン美術から大きく発展して

マリアも天使も「人間」に近くなっているのが特徴です。

 

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もうマリアはヴェールを被っていません。手には小さな祈祷書。

表情も真剣に天使の言葉を聞いているかのようです。

そして天使もマリアも室内の実際の「建築空間」に置かれ、

床にキチンと膝をついて、そこにちゃんと存在しているかのように

描かれています。

流れるような服の襞が、それまでの平面的な絵に比べて

人間の身体の厚みを表現しています。

 

こうした読書をしているマリアに天使が現れる場面は、

13~14世紀以降に西欧に登場した、最も代表的な構図です。

 

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シエナ派のシモーネ・マルティーニの受胎告知です。1333年頃。

ジョットがビザンチン様式を払拭したからといって、他の画家たちは

まだまだビザンチンの影響を脱していない様子が伝わります。

リアルさを追求するフィレンツェ派を横目に、シエナ派は優美さを

追求しました。

天国のシンボルとされた金を背景に、目もあやな天使と、読書中だった

マリアが驚いて少し怪訝な顔(?)をしている様子が描かれています。

マリアの衣装も素晴らしく、胴着の赤は

キリストの時代に未婚の女性に用いられた色で、マントの紺は

パレスチナの母たちが着用した色、つまり、マリアは処女で

ありながら母であることを示す色だそうです。

 

そして面白いことに、天使はオリーブの枝を持っています。

この時期のシエナ派の絵画にはオリーブがしばしば出てきますが、

これはシエナとフィレンツェの対立を反映していて、百合は

フィレンツェ市の紋章なんですね。だから画家(というか依頼主)は

描きたくなかったのかもしれません。

 

次はルネサンス時代の受胎告知を調べてみたいと思います。

 


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絵画の中の受胎告知 1

受胎告知の絵というと、どの絵を思い浮かべるでしょうか。

私はすぐにフィレンツェにあるサン・マルコ修道院に描かれた

フラ・アンジェリコのものを思い浮かべます。

 

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「受胎告知」とは、新約聖書に出てくる一節で、処女マリアが

妊娠したことを天使が知らせにくることです。

このテーマは何世紀にも渡って、数多くの芸術家に愛されてきた、

最も一般的なキリスト教美術かもしれません。

 

この受胎告知の絵は一体いつから描かれるようになったのでしょうか。

おそらく現存する一番古いもので、ローマのプリシッラのカタコンベに

描かれたフレスコ画ではないかと言われています。

 

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カタコンベとは地下にある墓所のことで、2世紀末から4世紀後半に

かけて各地で盛んに作られました。

このプリシッラのカタコンベでは、初期のキリスト教の時代に

迫害された殉教者たちのお墓が保存されています。

そして死後の魂の救済を願った絵が壁や天井に残されています。

 

このマリアはローマ時代の衣装でしょうか、その後の時代に

描かれるようなヴェールなども被っていないようですね。

そして椅子に腰かけ、言葉に耳を傾けているように

描かれています。天使の翼が見られないようですが、初期の

キリスト教美術では翼が異教(ギリシャ・ローマの神々)との

認識があったのだとか。それで描かれていないのでしょうか。

またマリアは左側に描かれています。後の時代には

マリアは右側、天使は左側に描かれていくので、そういう意味でも

興味深い受胎告知です。

 

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上の絵はローマのサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂にある

モザイク画です。普通、受胎告知の絵というとマリアと天使1人の

構図を思い浮かべますが、ここでは真ん中にマリア、そして

取り囲むようにローマ時代のトーガを着た天使たちがいます。

翼がついています。この辺りで異教的という感覚はなくなった

のでしょうか・・・飛んでいる天使もいます。

皆がそれぞれに何かマリアに言ったり

しているようにも見えますが、色々言われて混乱しそうですよね?

 

そして特筆すべきは鳩の存在。5世紀頃になると、こうして

受胎告知の際に天使と鳩が描かれていくようになります。

白い鳩はキリスト教美術において聖霊の象徴でした。

マリアは処女であったにもかかわらず、聖霊が下ってイエスを

身ごもるので、こうして聖霊の象徴である鳩が

マリアをめがけて降下するというのが

受胎告知の図像になったのだそうです。

 

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そして13世紀頃になると、受胎告知の図像もだいぶん私達の

イメージするものに近づいてきます。

マリアが右に、天使が左にという構図も定着したようです。

上の絵はローマのサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ教会に

あるピエトロ・カヴァッリーニの受胎告知です。

マリアの座る椅子も玉座になり、天使の翼も見事です。

またマリアの衣装がローマ風からビザンチン風になり、

ヴェールを被るようになりました。

天使もマリアもどちらも動きが出てきているのも印象的。

そして鳩が今度は光線に乗って降下してきています。

なんとその光源には「イエス」の顔が現れました!

 

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それまでには見られなかったような小道具も描かれるように

なっているのも、大きな変化ではないでしょうか。

花瓶に百合の花が描かれています。これはマリアの無垢の象徴と

され、こうしてマリアの近くに描かれるようになりました。

(反対側にあるお皿に盛られた緑の植物?は何なのでしょう。

オリーブかな?と一瞬思ったのですが、よく分かりません。

もしご存じの方がいらしたら、ご教示ください)

【追加】2017年5月23日;右側のお皿に盛られたのはたぶん

オリーブなのではないかと思いますが、そうだとすると

「平和の象徴」としての意味があるのだそうです。

キリスト教徒にとって、神と人間との和解を象徴するもの。

 

 受胎告知の絵も、こうして見ると時代ごとに色々な様式、

構図があり、興味深いですね。

 

次回は初期ルネサンス以降の受胎告知について

調べてみたいと思います。

 


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カストラートとは

今回は少し毛色の変わった内容です。

(以前別のブログに書いたものですが、こちらに移します)

 

もうかれこれ20年以上も前になりますが、

カストラート」という映画があったので
ご覧になった方も多いかと思いますし、この言葉を

ご存じの方も少なからずいらっしゃると思います。

 

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Castratoとは去勢されたとか去勢された羊というイタリア語。
ほとんどカストラート歌手(去勢した男性の歌手)という意味で

使用されるようです。


音楽や美声を目的として去勢歌手を用いたのは
12世紀頃のスペインだったと言われています。
(美声や音楽以外の目的、つまり宦官や去勢奴隷などは

もっと以前から古今東西色々とあったようですが)

16世紀にはイタリアで「公式の」カストラート歌手が

教皇聖歌隊として登場しました。
これはおそらく時代を同じくしてイタリアでオペラが誕生した

ことも関係があるかもしれません。


また教会音楽からオペラ界へカストラート歌手たちが

活躍の場を広げていき、貧困家庭において息子が

カストラート歌手になる事が貧しさから

抜け出す一つの方法だとも考えていたフシもあるようです。

つまりカストラート歌手の最盛期バロック時代においても

裕福層や貴族層からカストラートは一切出ていないのが

その証拠でもあるでしょう。

 

一説によると最盛期である18世紀には年間4000人!もの
貧しい少年達が去勢手術をしたという統計もあるとか。

 

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 (ファリネッリの肖像画)


映画「カストラート」の主役ファリネッリこと

カルロ・ブロスキは実在の人物です。
(ファリネッリは実は彼の師の名前で、それを

愛称にしていました)
歴史上一番有名なカストラート歌手で、

1720年から1759年まで

イタリアのみならずヨーロッパ中の宮廷で

引く手あまたの人気を誇っていました。


バロック・オペラにはカストラートが欠かせない存在でもあり、

当時男性オペラ歌手の約7割がカストラートだったと

言われています。すごい割合ですね。

 

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(ルイージ・マルケージの肖像画)

 

またミラノ出身のカストラート歌手では、甘いマスクも

手伝って成功をおさめたルイージ・マルケージが有名です。

1765年、ルイージが11歳の時にはすでにミラノ大聖堂ドゥオモ
聖歌隊として歌ったという記録が残っているそうで、
彼らはおそらく7歳〜11歳までに去勢手術を受けたと思われます。


しかし当時の手術といっても肉屋や理髪師といった人たちが

担当しており、その手術レベルはたかが知れていますね・・・

つまり最悪の場合は命を落とす少年たちも大勢いたと

いうことになります。想像の範囲ですが。

それに去勢したからといって、誰でもファルネッリのように

ヨーロッパ中の宮廷に呼ばれるほど成功するワケでもありません。


7歳や8歳の時に手術をして、その後結局「才能」がなく

芽が出なかった少年のほうが数から言えば多かったのでは

ないかと思うと、居たたまれない気持ちになりますね。


でも、二度と体は元には戻りません。
体だけは大人になり、声変わりをせず、結婚もできず
(カトリック教会は子孫を残せないカストラートの

結婚に否定的だったとか)、一生嘲笑の的になる

運命を背負って生きなければならないとしたら・・・

あまりに過酷な人生だと思います。

またカストラート歌手というのは同時期のイギリスや

ドイツなどではほとんど存在していなかったようで、
フランスにおいては憎悪の対象だったらしいです。

ナポレオンもイタリアにおけるカストラートの

徹底的な廃絶を目指していたようですが、面白いことに
カストラート歌手のオペラなどは鑑賞していたとか。
感覚では魅せられ、理性で拒絶。

こうしたカストラートに関する感情は
フランスやイギリスで多々見られていたようです。

1861年かろうじてイタリア統一を果たし、フランスの
法律などを組み入れたイタリアで去勢手術は違法

やっと決定しました。
また啓蒙主義の名のもとに「非人道的」な、

ただ王侯貴族たちが美声を聞きたいがための
カストラート歌手養成は19世紀には

激しい攻撃の的になっています。

オペラ界からカストラート歌手が消え、

正式に去勢手術は禁止。
では約3世紀間に渡ってオペラ界を席巻した

カストラート達は本当に全くいなくなって

しまったのでしょうか?

実はカトリック教会ではまだカストラート歌手が

神を讃える天使の声を発していました・・・


そして手術をする外科医を教会は罰しつつ、

大いなるイタリア的な矛盾を抱えながら
カストラート達はなんとシスティーナ礼拝堂で

歌い続けていたのです!

 

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(アレッサンドロ・モレスキ)

 

最後のカストラートと言われるアレッサンドロ・モレスキ
彼が手術を受けたのは1865年頃と言われていて、

なんと法律で禁止された後!

「ローマの天使」とよばれたアレッサンドロは1883年
システィーナ礼拝堂の聖歌隊に採用され、

その後サン・ピエトロ大聖堂の聖歌隊に加わりました。


1913年(20世紀!)に聖歌隊を引退。

歴史上最後のカストラート歌手でした。
そして1922年に亡くなります。62年の生涯でした。

なんとアレッサンドロは1902年と1904年

レコーディングをしているのです!
現在はCD化され(音質は悪く、彼の最盛期の声ではない)

21世紀の私たちも妖しい魅力に満ちた

カストラートの声を聞ける光栄にあります。

彼の歌う「アヴェ・マリア」です
この何とも形容しがたい声を聞くと

王侯貴族のただ娯楽のために、
そして神を讃える歌を歌うためだけに、

命を落としていった少年たちや儚い人生の
カストラート達を思うと切なくなってくる、そんな声でした。

 

www.youtube.com

 


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ミラノのティエポロ

17世紀にはヴィスコンティ家の邸宅だった建物を
その後カルロ・ジョルジョ・クレリチ侯爵が買い取り、ミラノに
それまでにないような豪華な宮殿にしようと大修復が行われました。

それがミラノ大聖堂からすぐの、裏通りにひっそりと佇むクレリチ宮。

 

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18世紀になり、カルロの息子のアントニオ・ジョルジョ・クレリチに
その「大修復」の意思は引き継がれます。

おそらく当時イタリアでも話題になっていたヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」を
意識し、バロック芸術の粋を集めようと、彼は莫大な資金力でそれを

実現していったのです。

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当時かなり高価であった鏡をふんだんに配置し、その向かいの壁には

フランドル地方で織られた豪華なタペストリーが掛けられています。
このクレリチ家ご自慢のサロンは全長なんと22メートル。

その頃すでにヨーロッパ各地で名を知られていたヴェネツィアの画家
ジョバンニ・バッティスタ・ティエポロ(ジャンバッティスタ・ティエポロ)を
ミラノに呼び、1741年にはサロンの天井いっぱいにフレスコ画
「太陽神の凱旋車の疾走」 を完成させました。

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 (モーゼの人生を描いたタペストリー)


天井画は下方から見上げる仰視法を取り入れ、明るく優美な彼の画風の効果を

一層盛り上げる役割を果たしています。

この手法は当時のミラノの貴族たちにも大人気で、クレリチ家のサロンは

舞踏会などの待ち合い室としても使用され、ミラノ社交界の場でもありました。

ヴェネツィア人のティエポロはまた、フレスコ画に遊び心を取り入れるのも

得意でした。そうした工夫が、貴族たちの目を楽しませ、知的な会話を

促していたのでしょう。
また天井の四隅には「四大陸(ヨーロッパ、アジア、アメリカ、アフリカ)」を
描き、世界観を表現。

もちろん彼の自画像も描き込んで自己アピールするのも忘れていません。

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 (女性が手をあげている、その下にある顔がティエポロ自画像)

これだけの贅を尽くし、一族の資産を使い果たし、人生を謳歌した

アントニオ・ジョルジョ・クレリチが1768年に亡くなりました。

資金繰りに困った跡継ぎのフランチェスコは、その時ミラノを統治していた

ハプスブルグ家の女帝マリア・テレジアの息子フェルディナンド大公と
マリア・ベアトリーチェ・デステ大公妃に、このクレリチ宮を
「賃貸」し、その後ミラノ王宮(現パラッツォ・レアーレ)が建設されて
大公夫婦がそちらへ移ってしまった後、1813年にナポレオンに譲る事になります。

1942年からはISPI(国際政策研究所)として機能しています。

このティエポロの間と呼ばれるクレリチ家のサロンは定期的に一般公開

されていますので、その時期に予約して見学が可能です。

 

予約 Tel・E-mail : +39-02-8693053 ispi.eventi@ispionline.it

 

 


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ボッティチェッリ 書物の聖母 

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ミラノのポルディ・ペッツォーリ美術館で初めて「書物の聖母」を見たとき、
その美しく優雅な曲線とAureolaと呼ばれる黄金に輝く輪光の繊細さに
目を奪われました。
「線の詩人」と言われたサンドロ・ボッティチェッリの円熟期、
ちょうど1480年頃の作品です。

また聖母マリアの柔らかな体を包みながら鮮やかに発色する青。
古代より珍重されていたラピスラズリを精製して得られる色ですが、
当時ラピスラズリは金に匹敵するほどの価値があり、
遠くアフガニスタンからやってきた大変高価なものでした。

聖母は祈禱書をめくりながら、時折ふとイエスの顔を優しく眺めます。
部屋の中は祈りの場というより、もっと家庭的な雰囲気さえうかがえます。
マヨリカ焼きの器には様々な果物が盛られていますが、

それぞれに意味があると言われています。

 

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さくらんぼはキリストの血をほのめかすもの。
プラムは聖母子の愛情を表し、イチジクは復活を意味しているのだそうです。
また聖母のなだらかな肩から腕にかけて金刺繍がほどこされていますが
ベツレヘムの星、そして3つの釘型は十字架(のキリスト)の表象なのだとか。

初期ルネサンスの典型とも言え、時の権力者メディチ家から高い評価を得ていた
ボッティチェッリの、優雅で静かな聖母子です。

参考:ポルディ・ペッツォーリ美術館ホームページ

http://www.museopoldipezzoli.it/#!/it/scopri/collezioni/




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カラヴァッジョに影響を与えた画家

----- カラヴァッジョは一群の地方画家(ロンバルディア派)の試みを

様式的価値にまで高めた画家だった -----と言った美術史家ロベルト・ロンギ。

 

カラヴァッジョはミラノで生まれ、そして13歳頃にシモーネ・ペテルツァーノの

工房へ弟子入りしていますが、どのような絵を見て影響を受けたのでしょうか。

孤独感が漂う画家カラヴァッジョですが、ロンバルディア派が与えた

彼への影響を調べてみました。

 

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有名な「トカゲにかまれた少年」の絵です。トカゲにかまれるという、

絵の題材としては少し変な感じがしますが、こうした小さな動物と遊ぶ風景や

動物にかまれた瞬間など、その一瞬の表情や驚きの様子をテーマとしたのは

ロンバルディア派の特徴でもあったようです。

 

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前回ご紹介したカラヴァッジョと交流のあったアンニバーレ・カラッチの

「猫にいたずらをする子供たち」という絵。さそりを猫の耳にあてて

無邪気に遊ぶ姿が描かれています。宗教的な意味もなく、普通の日常を

切り取ったかのような絵です。

 

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これはクレモナの女性画家ソフォニスバ・アングイッソーラのスケッチで

「カニに手を挟まれて泣くこども」というタイトルがついています。

なんと彼女の父親は巨匠ミケランジェロにこのスケッチを送り、巨匠が

ソフォニスバの才能を理解したとも言われているものです。

指を挟まれて痛くてビックリして泣いている様子が伝わってきます。

 

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ソフォニスバはこうした子供たちの日常や遊びを描いていて、こうした

象徴性の希薄な、通常の風俗画がロンバルディア地方ではすでに確立されて

いたということが分かります。カラヴァッジョもこうした先輩たちの

絵を日常的に見て研究していたのでしょう。

 

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余談ですが、カラヴァッジョの先ほど挙げた絵の、

花瓶の光の屈折まで描き、写実的に描写されているなど、やはり

カラヴァッジョの才能を表しているような感じがします。

 

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上の絵は16世紀初めから中頃にかけてミラノやブレーシャなどで

活躍していた画家カッリスト・ピアッツァ・ダ・ローディの

「コンサート」という絵。1528年頃の作品です。

これとよく似ているのが ↓

 

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カラヴァッジョの「合奏」1597年頃。白い衣装と手前に見える少年の

肩が非常に印象的です。右から2番目の少年はカラヴァッジョの

自画像ではないかと言われています。

 

上記に挙げたそれぞれの絵を見て気づくのは、ロンバルディア派の

絵というのは上半身だけを描いたもの、そして人物の身体の一部が

トリミングされているものが多々あるということです。

こうしたトリミングはロンバルディアの画家たちには定着した

方法で、当時のローマなどでは見られない方法だったそうです。

カラヴァッジョがローマで制作したトリミングされた作品

(例えばこの『合奏』など)を見たローマの画家たちは

さぞ驚いたことでしょうね。

 

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もう1枚カッリスト・ピアッツァ・ダ・ローディの1534年頃の

「キリストの磔」の絵。まさに今、磔にされている様子が

リアルに描かれています。足の裏まで描いているのも印象的。

 

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カラヴァッジョの「聖ペテロの逆さ磔」です。

光と影がもっと劇的になり、逆さ十字を持ち上げようとする

様子などがもっとリアルになっているような気がします。

足の裏が汚れているのも注目です。

 

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アンブロージョ・フィジーノの「聖マタイと天使」は

1585年頃の作品。フィジーノはシモーネ・ペテルツァーノの工房に

いたので、おそらく同工房に弟子入りしたカラヴァッジョは

彼の影響を強く受けているのではないかと思います。↓

 

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カラヴァッジョの「聖マタイと天使」は残念ながら第二次大戦で

焼失してしまい、白黒の写真が残っているのみですが・・・

フィジーノの天使に比べ、カラヴァッジョの天使は妖艶さ?を

増し、そして聖マタイが市井の人のようです(そして文盲?)

 

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こちらもアンブロージョ・フィジーノの「蛇の聖母」で

1583年頃の作品です。ミラノのサン・フェデーレ教会に

ありますが、この教会はカラヴァッジョが足しげく通って

いたと言われていて、この絵を何度も見ていることは確かだと

思います。

 

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こちらはカラヴァッジョの「聖アンナと聖母子」1605年。

マリアがキリストを支える姿など構図が似ていますね。

 

聖母が蛇をこうして踏みつけるという図像は「罪に対する

勝利」という意味がありますが、バロック時期(宗教改革時期

とも重なりますが)には、もともとあった蛇の意味「原罪」と

合わせて「異端 = プロテスタント」という意味も加わっているのだとか。

 

カラヴァッジョはロンバルディア派の風俗画に見られるような

自然主義や光と影の効果などを身につけてローマへ行き、

そしてそこで自らの表現をさらに高めていったような気がします。

 


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トレント公会議後の宗教画とカラッチ

カトリック教会は1545年から’63年まで断続的にトレント公会議を

開き、教会の建て直しをはかりました。そして教会における美術作品は

「聖書や由緒正しい聖人伝にもとづくものであるべき」と定め、また

「分かりやすく写実的で、これを見る信徒の心に強く訴えるべき」ことが

求められます。

 

その頃、絵画や彫刻に携わることがいわゆる「芸術」として、

工房で働く職人や手工芸から区別され、増々「芸術家」としての

意識を強めていきます。

そしてイタリアから始まった芸術家団体であるアカデミーが

各地に次々と設立されていきました。

 

そんな中、ボローニャで1560年に生まれ、同じく画家であった

兄や従兄と共に、ラファエロに代表される盛期ルネサンスの伝統の

復興を目指すことをスローガンにして1580年頃

「アカデミア・デリ・インカミナーティ」をボローニャに設立し、

カラヴァッジョと親交のあったアンニバーレ・カラッチ。

 

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    (カラッチ一族;おそらく左がアンニバーレ)

 

カラッチは下の「キリストとサマリアの女」のような
ヴェネツィア派の影響を受けた柔らかな色彩とラファエロなどから学んだ
徹底した構図にもとづく絵を描いていました。

また画面に広がる風景も素晴らしく、光にあふれていて、詩的な画家だった

ジョルジョーネやコレッジョ的な雰囲気も備えた作品です。

 

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そして当時のローマの風景を理想化したような趣きのある「エジプト逃避」
この絵は神話や宗教画の背景のための風景ではなくて、すでに純粋な

風景画としてのジャンルを確立していると思われます。

 

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それだけではないのがカラッチの凄さなのですが、彼はイタリアにおける

「風俗画」の先駆者でもあり、単なる伝統主義者ではなかったのです。

 

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上の「豆を食べる人」は、宗教画などと並んでロンバルディア派の

伝統を受け継いた風俗画です。特筆すべきなのは、当時の現実の

民衆の生活を見つめて、「最後の晩餐」のような宗教的な

意味も一切なく、ただ民衆の「普通の食事」姿が捉えられていると

いうこと。まるで19世紀の自然主義の画家が描いているかのような

錯覚に陥るほどです。

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この「肉屋」の光景を描いたものも、当時は非常に珍しく、また画期的で

北方の画家が描いたような、肉の細かな描写が本物のように見えると

いうのではなくて、肉屋で働いている人たちの日常の一コマが切り取られて

いるという点。カラッチはこうした風俗画すらも、まるで宗教画と

同じように素晴らしいと言いたかったのでしょうか。

 

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そして私がカラッチの絵の中でも一番好きなのが、この「ピエタ」です。

美術史の先生が「完璧な構図とデザイン」である、と。そして
恐らくミケランジェロのヴァチカンにあるピエタ像を何度も模写した結果と

コレッジョから色彩のヒントを得ているかもしれないとも

おっしゃっていました。

 

美しいキリストの上に光が降り注がれ、彼を悼む聖母の表情が痛々しくて

見る者を哀悼へといざないます。足元には愛らしい天使がキリストの

傷を指し示し、まるでこちらの注意を引いているかのようです。

 

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今はナポリのカポディモンテ美術館に展示されている「ピエタ」ですが、

これはもともとは祭壇画なので(ファルネーゼ宮の礼拝堂にあったとか)

当時は祭壇にロウソクが灯され、祈りを捧げる信者たちには、

暗がりの中にほんのり白く美しく浮かび上がるキリストと

聖母の表情が見えたことでしょう。そして信者の心を強く打ったに

違いありません。それこそがまさに「バロック」なのだと思います。

 


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パルマとコレッジョ

プロシュット(生ハム)で有名なパルマは人口約18万人の町。

この小さな北イタリアの町に16世紀に活躍した画家コレッジョがいます。

彼はサヴォナローラの登場した暗い時代のフィレンツェやティツィアーノの

ような巨匠が活躍したヴェネツィアといった大きな芸術のうねりがある場所を

恐らくよく知らなかったと言われてますが、それが幸いしたのか、彼の作品は

いつも明るく優美で官能的です。

 

この町とコレッジョについてのエピソードでとても印象的なのがスタンダール

『イタリア紀行』に書かれてあります。

1816年12月1日スタンダールがコレッジョのフレスコ画を見るためだけに

ミラノから移動して1時間ほどだけパルマに立ち寄りました。

「イエスに祝福される聖母は、涙がこぼれるほど私を感動させる」

 

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このフレスコ画は元々サン・ジョヴァンニ・エヴァンジェリスタ教会の

後陣に1522年に描かれましたが16世紀末にはすでに痛みが激しくて

剥がして保管、その跡には複製が飾られました。このオリジナルは

現在パルマ国立美術館に展示されています。

 

パルマを訪れたら外せないのが12世紀末には現在の姿になった

ロマネスク様式のパルマ大聖堂。

 

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イタリアの聖堂の特徴として、聖堂と鐘楼が別に建てられるということが

あると思います。この高いゴシック風な鐘楼は大聖堂完成1世紀後の

13世紀末に完成しました。

 

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大聖堂の入口プローティロは1281年頃のもの。

このプローティロは北イタリアのロマネスク建築に見られるもので、

特徴はライオンなどの彫像があって、その上に円柱、そして円柱に

かかるアーチ型の屋根という構造になっています。

ライオンのほか雄牛や像なんかもあるようですが、パルマはライオンでしょうか。

前にブログでご紹介したベルガモ大聖堂のプローティロもライオンでした。

 

egotisme.hatenablog.com

中に入ると一面ルネサンス期のフレスコ画で溢れていて目を奪われます。

 

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そしてクーポラの方まで進んで行き、ふと上を見上げると・・・

 

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「聖母被昇天」が圧倒的に美しい!天井がいきなり開いて、光がワッと

差し込んでくる感じがします。全てが中心に向かって勢いよく上って行って、

まるで見ている自分も渦に巻かれて上っていってしまいそうな錯覚も。

これがコレッジョをして「光の効果の達人」と言わしめる技術です。

 

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マンテーニャゆずりの短縮法を用いた人物表現、そしてそれまで描かれた事が

なかった「聖母が押しつぶされたように表現」されているのも印象的です。

1526年から1530年にかけて描かれました。

 

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もう一つ、パルマに行って見逃せないのが国立美術館の中にある

「聖母子と聖ヒエロニムス, マグダラのマリア」です。

元々はパルマのサン・アントニオ聖堂のために描かれたものですが、

今は美術館内で保管されています。

 

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コレッジョは人物の表現に甘さがあるというか、優美というか、

どの人も素晴らしく美しいというのが特徴だと思います。また全体的に

画風も明るいですね。ただ面白いことに彼自身の性格は非常に質朴だったと

伝えられているようですが・・・

 

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この天使の美しい横顔には、ただただうっとりと眺めるのみ。

私の美術史の先生はコレッジョの講義中にただ一言「Bello(美しい)」と。

スタンダールは「コレッジョは画風の優美さに表現の優美さを結び付けた

人である」とも書いていて、これも言い得て妙なり、です。

 


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