エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

ミラノの邸宅美術館;ポルディ・ペッツォーリ美術館

ミラノには邸宅美術館と呼ばれる美術館が4軒ほどありますが

その中でも一番有名なのがこのポルディ・ペッツォーリ美術館。

中は当主であったジャン・ジャコモが欧州中から蒐集した美術品が

展示されていて、一見の価値あり。

1881年から一般公開されている古い美術館です。

 

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ミラノの名門貴族トリヴルツィオ家のローザと
19世紀当時オーストリア政府への最大の納税者として有名だった
ポルディ・ペッツォーリ家ジュゼッペの息子として
ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは1822年7月27日に

生を受けました。

 

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早くに父を亡くしたジャン・ジャコモへの教育は芸術に造詣の
深かった母ローザが献身的に教授したようです。
そしてそれまでのトリヴルツィオ家所蔵の芸術品、様々な手稿、
工芸品にも彼は幼い頃から囲まれて暮らしていました。

審美眼はそうして培われていったのでしょうね。

1846年24歳になったジャン・ジャコモは当時の貴族の子息が

するようにヨーロッパ中を旅します。その土地、土地であらゆる

芸術を見聞し、そして自らも蒐集を始めるようになりました。

ボッティチェッリやピエロ・デッラ・フランチェスカ、ポッライオーロ、

マンテーニャなどのイタリア人画家の作品を次々に蒐集していきます。

 

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こちらはジャン・ジャコモが蒐集したボッティチェッリの

「書物の聖母」で、このブログでご紹介しています。

 

egotisme.hatenablog.com

 

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そしてヴェネツィア派の代表ジョヴァンニ・ベッリーニの

「ピエタ」、背景に風景が描きこまれています。

 

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ピエロ・デル・ポッライオーロの「貴婦人の肖像」は

古典的なプロフィールの美しい作品。

髪の毛一本、一本まで丁寧に描かれているのが印象的。

 

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マンテーニャの「聖母子像」はビザンチンの影響が遠ざかり、

聖母もキリストも本当の人間に近づいています。

何より、この絵はキリストの愛おしい表情に釘づけです・・・

 

ちょうどその当時、ロンドンやパリなどの大都市では

「蒐集した貴重な美術品を邸宅に飾り、まるで美術館のように

公開する」ということが流行していたようですね。

このブログでもご紹介したパリの邸宅美術館もそうしたものの

一つだと思います。

egotisme.hatenablog.com


そこでジャン・ジャコモもこれに続けとばかりに、ミラノへ戻ってきてから
1849年にポルディ・ペッツォーリ家を友人たちに公開しました。

 

階段や寝室はバロック様式に、「黒いサロン」と名付けられた部屋は
ルネサンス初期の様式に、書斎は14世紀をイメージ、そして武器や武具の
部屋はかなり広いスペースを用意する・・・などなど様々な様式を

折衷し、イタリア中、ヨーロッパ中から集めた彼のお目がねに叶った

美術品が飾られました。
招待された芸術家や友人たちは賞賛の声を惜しまなかったと言います。

 

1879年ジャン・ジャコモは57年の生涯を閉じました。

 

その後この美術館は第2次世界大戦中,連合軍による
ミラノ爆撃によって天井、壁、美しい天窓、備え付けの素晴らしい
調度品などが破損するという被害を被ります。
戦争が始まったときに絵画や工芸品(持ち運びできるものは全て)は
別の場所に非難させておいて無事だったのが、不幸中の幸いでしょう。

 

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これら爆撃前に撮ってあった写真などを参考に、戦後それこそ気が

遠くなるような修復・復元作業を続けてポルディ・ペッツォーリ美術館は
1951年、再びよみがえります。


そして現在も当時の面影が少し残る中、ジャン・ジャコモが財の限りを

尽くして蒐集した美しい美術品が一緒に楽しめる美術館として

一般公開されています。

 


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カラヴァッジョの静物画 果物籠 

ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。

先月、かなり久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。

以前観た時と展示位置や照明が変わったので、今までもっと「黄色い」

イメージがあった作品ですが、薄いクリーム色というか白っぽいイメージに

変化した気がするのは私だけでしょうか。

 

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こうした静物画という画題が独立した絵画ジャンルとなる一歩を

踏み出したのは16世紀半ばのことです。

ただ当時、絵画はジャンルごとに等級化されていて、最高のジャンルは

もちろん宗教画、そして歴史画、肖像画、風景画、風俗画という順番でした。

そして最下級に静物画が置かれていました。これは花や果物などの存在する

領域が「卑しい現実」と思われていたこと。そして絵画技術においてもっとも

高級なのが人体描写、人間を主題とする「意味をもつ」大画面を構成すると

いうことが画家の使命でもあったわけです。

 

当時(それ以降も)は静物画の担い手に女性画家が多かったのも、残念ながら

「女にも出来る職人仕事」だと思われていたからです。また、女性は裸体の

写生を禁じられていましたので、人体表現の訓練が出来なかったということも

あります。

 

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(オッタヴィオ・レオーニ作カラヴァッジョの肖像)

 

話が逸れてしまいましたが、カラヴァッジョはそういう風潮があった

当時に「花の絵を描くことと、聖母の絵を描くことは同じ価値がある」と

言っています。非常に新しい(変わった?)考え方だったでしょうね。

 

カラヴァッジョの「エマオの晩餐」について以前このブログでもご紹介

しましたが、↓

egotisme.hatenablog.com

そこでもカラヴァッジョは果物籠を描いていますが、テーブルの端から

今にも落ちそうな感じで描かれているのが気になりますね。

そしてアンブロジアーナ絵画館にある「果物籠」も、よく見ると

台の端にはみ出して描かれているのです。

 

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台座からはみ出すように人物や物を置くということは、ルネサンス時代から

描かれていました。これは「浮彫効果」を狙うためだったとも言われます。

またこうして不安定な状態に置くことによって、安定した土台にない、つまり

危ない、脆い存在であるとの表現かもしれません。

 

西洋文化において、果物といえば、アダムとエヴァが食べた知恵の樹の実。

そして果物は人間の五感のひとつ、味覚の寓意でもありました。果物は甘く、

虫が食いやすい、また腐りやすいものと考えられ、甘美ながら束の間の

「快楽」の寓意としても考えられてきたようです。

 

カラヴァッジョの「果物籠」にも林檎の所々に虫の食った跡が。

これはすでに退廃の始まりを意味しているのだとか。

またブドウの葉もみずみずしく描かれているものと、枯れ始めている

葉も見受けられます。それはブドウの汁気を多く含んだ輝くような実と

対比して、まるでカサカサとした音まで聞こえそうです。

 

静物という具体的なものをこうして描くことによって「世俗的快楽の

はかなさ」という観念を表現するという方法は、最後の晩餐などの

宗教画の中から次第に生まれ、そして発展してきました。

 

イタリアはルネサンス以来、宗教画や人物像の伝統を頑なに守って

きました。そんな中でカラヴァッジョの「果物籠」は初めての独立した

静物画だったのです。

 

参考文献; 三浦篤 『まなざしのレッスン1』

      若桑みどり 『絵画を読む イコノロジー入門』

      田中英道 『イタリア美術史』

      http://www.ambrosiana.eu/cms/

 

 


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マザッチョの革新性

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の中にある

ブランカッチ礼拝堂。ここに描かれたマザッチョの壁画は

「絵画の学校」とも呼ばれ、後のレオナルドも、ラファエロも、

そしてミケランジェロも足しげく通っては模写したと伝えられています。

 

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マザッチョは「絵画の本質は生きている自然をあるがままに、デッサンと

色彩で飾り気なく、出来る限り正確に再現することだ」と考えていました。

この考えこそが、ルネサンス美術の基本的な姿勢であり、自然模倣そして

現実再現を目指したマザッチョが、このブランカッチ礼拝堂で見事に

表現したといえます。

 

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マザッチョは建築家ブルネレスキが試みた線遠近法を駆使し、ひとつの

光源(窓から差し込む光)を想定して、陰影も投影も描いています!

約1世紀前のジョットにはこの「投影」という試みはありませんでした。

 

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(ジョットの有名な「ユダの接吻」には陰影で体のボリューム感は

表現されていても、投影は描かれていません)

 

そしてもっとも素晴らしいのが「楽園追放」のアダムとエヴァ。

 

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彼らの足元にも影があり、奥行きのある空間を表現しています。

追放されるエヴァの表情・・・二度と取り戻すことのできない至福の日々、

浅はかであった自らの行為は悔やんでも悔やみきれないという嘆きが凝縮され、

一度見たら二度と忘れられないような印象的な表情。その横で絶望のあまり

顔を覆うアダム。何度見ても感動的なシーンです。


こうした奥行きのある空間や激しい感情表現こそ、ルネサンス美術が

新たに獲得したもので、まさにマザッチョこそがその先駆者にふさわしいと

言えるでしょう。

 

マザッチョといえば忘れてはいけないのがナポリにあるキリスト磔刑図。

 

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マグダラのマリアが、なんと後ろ向きで若干大げさともいえる

ジェスチャーで嘆きの表現がされていますが、こうした後ろ姿で

マグダラのマリアが描かれたのは、おそらくこの絵が初めてとの事。

当時としては新しくかつ大胆な試みだったのではないでしょうか。

 

またこのキリストの体の表現方法もそれまでと違って、どうも

見る人の視点(つまり下から上を向いてこの絵を見る)を考慮し、

描いているように見受けられます。

 

そうした見る人の視点を考えた作品の主要なものがこちら。

ご存じ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「三位一体」です。

 

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この磔刑図の背景はゴルゴダの丘ではなく、ブルネレスキ風の

美しいアーチの建築が活かされている空間。完ぺきな遠近法で

描かれていて、奥行きを感じさせます。

キリストの顔は理想化された顔ではなく、人間らしい顔であることも

特徴でしょう。何より、聖母マリアの顔が、フィレンツェの町中を

歩いている、普通の女性のような表情なのです!

 

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そして、このしぐさ。聖母のこうした見る人への注意をどことなく

促すように描かれているのも、実はこの絵が初めてなのです!

 

ヴァザーリは「マザッチョはいつも雲の上にいるようで、心はいつも芸術にあり、

自分のことはもとより、他人のことも全く構わなかった」と書いています。

なるほど、少しマザッチョが理解できるような気がしますね。

 

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マザッチョの自画像と言われていますが、意思の強そうな瞳が印象的。

彼は1401年12月21日に生まれ、なんと27歳という若さで亡くなりました。

またまたヴァザーリの言ですが「毒殺以外に死因は考えられないという

人に事欠かない」とか。素晴らしい才能に嫉妬した誰かが毒を盛ったの

でしょうか・・・それとも、他人のことにも構わない無頓着なマザッチョ

だったので、敵が案外多かったのでしょうか・・・

 

いずれにせよ、マザッチョの「自然主義」がルネサンスの出発点であること

には間違いがないようです。

 


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イタリア;2015年 秋の展覧会情報

2015年、芸術の秋にふさわしいイタリア各地で開催される展覧会の

情報をお伝えします。これからクリスマス休暇、年末年始にかけて

イタリア旅行を計画されてる方に参考にしていただければと思います。

 

まず、ミラノで見逃せないのがこちら。

 

*フランチェスコ・アイエツ;Hayez

http://www.gallerieditalia.com/hayez/

スカラ座広場のガッレリア・ディタリアで2016年2月21日まで。

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イタリア・ロマン主義の代表といえばフランチェコ・アイエツ。そして

アイエツといえば、この有名な作品「接吻」・・・

このブログでも以前、ご紹介しましたので、是非ご覧ください。

 

egotisme.hatenablog.com

 

この「接吻」には3作あって、それがミラノで一堂に会するのは実は初!

他にもアイエツの作品が120点も展示です。

 

*ジョット;Giotto、L'Italia

http://www.mostragiottoitalia.it/

ミラノ王宮博物館で来年1月10日まで開催中。

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ジョット作品13点が展示されています。見どころはやはり祭壇画。

ジョットについてもこのブログで触れていますので、よろしかったら

ご覧ください。

マエスタ・荘厳の聖母 - エゴチスムな日々

 

*ラファエロからシーレまで;Da Raffaello a Schile

http://www.daraffaelloaschiele.it/la-mostra/

2016年2月7日までミラノ王宮博物館にて開催中です。

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ブタペストにある国立西洋美術館から、ラファエロの「エステルハージの

聖母」やらクラナッハの「サロメ」、アルテミジア・ジェンティレスキ、

ヴァン・ダイク、ティエポロ、カナレット、シーレ・・・

彫刻ではロダンの作品も来伊しています。

盛りだくさんで、めまいがしそうな展覧会ですね。

 

*ボルディーニやデ・ニッティスのベル・エポック;Belle Epoque

http://www.gammanzoni.com/

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マンゾーニ通り45番地にある、ひっそり隠れた小さなギャラリー

GAM Manzoniで2016年2月21日まで開催中の「ベル・エポック」展。

この世界観、好きな方はお見逃しなく♪私はカタログまで買いました。

 

*フランス印象派からピカソまで;Dagli Impressionisti a Picasso

http://www.palazzoducale.genova.it/dagli-impressionisti-a-picasso/

2016年4月10日までジェノヴァのドゥカーレ宮殿で開催中です。

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モネ、ゴッホ、ルノワール、ドガ、ピカソ、マティス・・・約52点の

作品が展示されているようです。印象派を思いっきり堪能できそうな

展覧会ですね。会期が長いのも旅行者には嬉しいかもしれません。

 

*ジェームス・ティソ;James Tissot

http://chiostrodelbramante.it/info/james_tissot/

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イタリアでジェームス・ティソの作品が公開されるのは、これが

初めてなんだとか・・・来年2月21日までローマのブラマンテの回廊で

開催中です(このブラマンテの回廊自体も一見の価値あり。そして

展覧会を見終わったら、是非併設のカフェで回廊も堪能してください)

 

*古代エジプト展;Egitto. Splendore Millenario.

http://www.mostraegitto.it/

ボローニャの考古学博物館で来年7月17日まで開催中。

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オランダの国立ライデン古代博物館所蔵の作品が

来伊しているようです。1700平方メートルの展示スペースに

彫刻などが並ぶ姿は圧巻でしょうね。

 

*エル・グレコ;El Greco in Italia

http://www.elgrecotreviso.it/

トレヴィゾのCasa dei Carraresiで来年4月10日まで開催中。

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エル・グレコってよく知らなかったのですが、本名は

ドメニコス・テオトコプーロスというのだそうです・・・長い。

当時のヴェネツィア共和国統治のクレタ島で生まれ、イタリアを経て

スペイン・トレドへ。

そのイタリア滞在中にイタリア語でギリシャ人を意味する「グレコ」が

今も名前として伝わっているんですね。

 

*ゴッホ、シャガール、フォンタナ;Bellezza Divina

http://www.palazzostrozzi.org/mostre/bellezzadivina/

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フィレンツェのパラッツォ・ストロッツィで来年1月24日まで。

ゴッホの「ピエタ」、モローの「聖セバスティアヌス」、ムンクの

「マドンナ」なんかもあるようです。このドイツの表現主義なんかは

私はよく分からないのですが、お好きな方はお見逃しなく。

 

ミラノ万博があったおかげでしょうか、ミラノの展覧会がやたらと充実

した1年だったような気がします。

 


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パリの邸宅美術館;ジャックマール=アンドレ美術館

邸宅美術館 ----という響きにここ数年、魅せられています。

華麗な邸宅が立ち並ぶパリ8区のオスマン通りにあるジャックマール=アンドレ

美術館はその邸宅美術館の中でもとびきり素敵なものの一つでしょう。

 

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オスマン通り158番地に瀟洒な館ができたのは1875年のことでした。

銀行家のエドゥアール・アンドレと画家だった妻ネリー・ジャックマールは

数十年間に渡り、世界から約5,000点に及ぶ芸術作品を収集し、

世界有数の個人コレクションともいわれています。

 

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入ってすぐに目に飛び込んできたのは、なんと「温室」風の空間。

ナポレオン三世時代には温室が流行していたのだとか。こうした観葉植物を

インテリアにするのは、この時代から始まったのでしょうね。

 

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1階部分には他に大きなサロンや音楽の間などがあり、そこで夫妻は

客人をもてなしました。バロックやロココに見られるような金を取り入れた

豪奢な内装と大きな窓から差し込む光との調和にうっとりします。

 

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他にも夫婦の寝室やプライベート空間も公開され、至るところに

彼らの美意識が集結したような空間が広がり、ただただ美しい。

1階はフランス絵画が中心になっているようで、ふと目に留まったのは

18世紀の画家ジャン=マルク・ナティエの「アンタン侯爵夫人」。

彼の作風は甘美で繊細な色使いが特徴ですが、こうした美しい邸宅の壁に

飾られると一層映えますね。

 

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特筆すべきは、彼らはイタリア・ルネサンス美術への関心が高く、特に妻の

ネリーは、あらゆる画家の中でボッティチェリを最も高く評価していました。

イタリア旅行も頻繁で、そのたびに新しい作品を入手して展示し、ごく親しい

友人だけを招いていたようです。

 

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階段を上がって2階に到着するや、すぐに出迎えてくれるティエポロ。

1745年頃の作品で、アンリ三世のヴェネツィア訪問の様子が描かれています。

この絵はもともとヴェネツィアのコンタリーニ宮殿にあったものを

夫妻が気に入って購入したようです。

このように2階部分はイタリア絵画の間のようになっています。

 

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いきなりジョヴァンニ・ベッリーニ!が登場しました。

が、夫妻はこの絵がベッリーニだとは知らないで購入したようです。

しかし彼らの「目」は確かだった・・・ということでしょうね。

1510年頃の作品です。

 

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とうとうボッティチェリも登場(真ん中の絵)しました。

おそらくボッティチェリが25歳頃の作品(1470年頃)のようです。

妻ネリーは、この作品は「ヴェロッキオの工房」で作られたものだと

確信して購入しました。そして恐らく師ヴェロッキオか、若き弟子

ボッティチェリなのではないかと思っていた・・・

この穏やかな聖母の表情と繊細な線はボッティチェリの特徴。

しかしハッキリと断定されたのはなんと1995年の修復後なんだとか。

それにしても夫妻の審美眼、素晴らしいですね。

 

素敵な邸宅美術館を堪能した後は、当時ダイニングとして使用されていた

部屋がティールームになっているので、そちらで優雅にお茶を頂くのもオツ。

美味しいタルトを頬張りながら考えたことは、旅先で好きなだけ美術蒐集して、

自宅に飾って、夫婦で、または友人たちと愛でつつ、話に花を咲かせ・・・

あぁ、一度でいいからそんな暮らしをしてみたい!

夢のまた夢ですが、そんな夢を見ることをひと時許してくれるのが

邸宅美術館の魅力かもしれません。

 

 

 


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マエスタ・荘厳の聖母

ウフィッツィ美術館の第2室に「Maesta'」(イタリア語で荘厳という意味)と

呼ばれる絵画が3枚あります。マエスタとは玉座につき、聖人や天使に囲まれた

聖母子の絵画のことで、いつの時代にも多くの画家が描き続けてきたテーマ。

この第2室では、シエナ派の巨匠ドゥッチョ、イタリア絵画の創始者として

非常に重要視されている画家チマブーエ、そして西洋絵画の祖とも呼ばれている

ゴシック絵画最大の巨匠ジョットのそれぞれのマエスタを一堂に集め、

13世紀から14世紀初めに起こった西洋絵画の変化を見つめるような展示に

なっているのです。

 

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ドゥッチョはシエナで1255年頃に生まれ、13世紀末から14世紀にかけて

シエナで活躍した画家です。まだまだビザンチン絵画を基盤とした作品が

多いですが、少しずつ人間描写などが現実味を帯びていている感じです。

しかし奥行きの感じられない平面性、聖母の表現が形式的など、やはり

ビザンチン美術の影響がいたるところに見られます。

 

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聖母の後ろに描かれた鮮やかな布地は、当時シエナがこうした織物産業の

拠点、そして流通の要にあったことが分かります。こうした布地の

流れるような表現、非常に「線」を強調したような表現もシエナ派と

呼ばれる絵画の特徴です。

ドゥッチョのマエスタ(1285年頃)はもともとフィレンツェの

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に納められ、その後、同教会内の

ルチェッライ家礼拝堂に移されました。

そのために「ルチェッライの聖母」とも呼ばれています。

 

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チマブーエは1240年頃にフィレンツェで生まれ、そこで活躍した画家です。

本名はチェンニ・ディ・ペーポなんですが、イタリアでは近代以前の芸術家は

本名ではなくあだ名で呼ばれる人が多いですね。

(有名なボッティチェッリなんかも小さな樽という意味のあだ名)

 

このマエスタはもとはサンタ・トリニタ教会に納められていた作品で

「サンタ・トリニタの聖母」とも呼ばれています。

制作年は1280年から’90年の間ぐらいだと考えられていて、ドゥッチョの

マエスタと同じ頃で、聖母はまだまだビザンチン様式の影響が強いですね。

しかし玉座がまるで建築物のように描かれ、写実的に表されています。

不完全ながらも遠近法が少し試されているような画面の構成に変化が

見られると思います。

 

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聖母子の表情にもどこか人間の表情のようなものが感じられますね。

ジョットの師であったチマブーエは、ドゥッチョと同じく、ゴシック期から

ルネサンスの夜明けを知らせるような、そんな橋渡し役の画家のような

気がします。

 

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そしてジョットのマエスタ。1308年に描かれました。

オンニサンティ教会に納められていた作品で「オンニサンティの聖母」

とも呼ばれています。
ドゥッチョやチマブーエよりたった20年ほど後に描かれたものですが、

このジョットを境にして、ビザンチン絵画からイタリア絵画へと

独自の道を歩み始める過程が見受けられます。

 

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聖母の中心で消失点を結ぶ遠近法で描かれていて、そのことが前2作と比べ

より現実的な空間になっています。また、それまでの伝統的図式だった

「聖母の首のかしげ」がなくなり、瞳に強い意思すら感じるように真っ直ぐに

こちらに視線を向けています。

天使たちにも表情が与えられ、それまでは空間に浮いていた天使も

地面に重量感をもって立ったり、ひざまずいたりと動きが表されています。

キアロスクーロによって聖母やキリストの体にボリューム感も表現。

そしてゴシック建築のような玉座が写実的な空間を醸し出しています。

こうして絵画に奥行きを持たせ、写実的な空間を表現したジョット。

 

イタリア・ルネサンスの幕開けは、もうすぐそこまで来ています。

 


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イタリアの最も美しい村:スペッロを訪ねて

花の絨毯で有名なスペッロですが、その時期以外に訪れても旅人の目を

楽しませてくれる美しい景色がいっぱいの町。

 

スペッロはウンブリア州ペルージャ県にある、イタリアで最も美しい村と

名付けられたコムーネの一つ。ドライブの途中、スバシオ山の麓に突如

現れる村の姿に、思わず歓声があがります。

 

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新市街に駐車してから、旧市街へと向かうと、立派な古い門が・・・

紀元前1世紀頃のローマ期のコンソラーレ門が出迎えてくれ、またまた歓声。

横に立つ塔は中世期のもの。

そして、3体の彫刻は16世紀に取り付けられたものだろうとのこと。

スペッロの歴史が凝縮されたような門に、村への期待も膨らみます。

 

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花祭りの村にふさわしく、どんな小路にも緑や花で溢れていて、人口8500人ほどの

小さな村にも関わらず、生活の質というか、住民の精神的な豊かさみたいなものを

散策しながらヒシヒシと感じました。

 

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坂道がきつい所もあるので、夏の暑い時には汗だく・・・でもその坂を上り切った後、

ふと振り返ると広がるウンブリアの緑に癒されます。

 

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あと、とてもフォトジェニックな村なので(住民もよく心得ているでしょうし)

こんな風に、観光客のカメラに収めてもらうために、そこに駐車してあるかのような

光景にも出会えます(笑)はい、もちろん写真を撮りました♪

 

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車窓からも見えていた、サンタ・マリア・マッジョーレ教会の鐘楼に到着した頃、

雲行きが怪しくなってきたので、教会内で少し時間をつぶすことに。

1025年に建設された教会を、1285年に再築してロマネスク様式にしたようです。

 

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内部は残念ながらバロック様式になっていましたが、ここの見どころはズバリ!

バリオーニ礼拝堂に残るピントゥリッキオの美しいフレスコ画でしょう!

その側廊の礼拝堂にだけガラスの扉がつけられ、2ユーロを払って至福の時間を

過ごすことになります。

 

床にはウンブリア州デルータ産の16世紀マヨルカ陶器が敷き詰められ、壁の三方を

ピントゥリッキオの素晴らしいフレスコ画で飾られた小さな空間にしばし身を置く

幸せに浸りつつ・・・

 

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今までにも何度か「受胎告知」の絵を見てきましたが、こんなに洗練されたのを

見るのは初めてかもしれません。

柱に掘られた彫刻等の細部まで丁寧に描かれ、

どこをとっても完ぺきな遠近法なのに、固くなく、あくまで優美な空間を

表現しています。

また絶妙な色合いが洗練度を高めている感じがしました。

奥に見える当時のスペッロも美しく描かれています。

 

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うつむく姿のマリアに見とれながら、ふと視線を横にずらすと何やら肖像画が・・・

注文主のバリオーニかと思いきや、よくよく見るとベルナルディーノの名前が。

実はピントゥリッキオというのは「小さな絵描き」という意味で、彼の本名は

ベルナルディーノ・ディ・ベットというのですが、なんと画家は自画像を受胎告知の

中に描きこんでいたのです!!

この時代はまだ作品に「サイン」という習慣がなかったのもあると思いますが、

画家がこうして画中に表れるというのは、画家としての自信もあるでしょうし、

また当主との信頼関係なんかも深かったのかなと思わせますね。

 

そういえばピントゥリッキオといえば、真っ先に思い出すのがシエナ大聖堂の

左身廊にあるピッコローミニ図書館の鮮やかなフレスコ画。

 

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あそこにも確かピントゥリッキオの自画像が描きこまれていたような・・・

なぜかピントゥリッキオがとても気になった夏でした。

 


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ヴァカンス便り: オルチャ渓谷

いつの頃からか、糸杉のある景色を何かの写真で見て以来ずっと
心惹かれています。イタリアで糸杉を見つけると「あ、糸杉!」と
思わず心が踊ってしまうほど大好き。

 

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ミラノ郊外の小さな街にも時々見かけますし、墓地には付き物の糸杉ですが、

北イタリアでは今まであまり心躍る景色にお目にかかったことがありません。
私の中で「糸杉」といえば、やはりトスカーナ。


世界遺産に登録されたトスカーナのオルチャ渓谷は至る所にポツン、ポツンと糸杉が

点在します。個人的には卒倒しそうなほど美しい景観だと思います・・・

 

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渓谷というよりは果てしなく続く丘陵地のオルチャ渓谷。
幾重にも連なるなだらかな丘は、8月のこの時期刈り取られたばかりで緑は少なく、

どこまでも土がむき出しの丘になっていますが、それもまたオツな景色です。

 

トスカーナ・シエナの南東に広がる田園地帯はこの地域特有のCrete senesi

(クレーテ・セネージ)とよばれる粘土質の土が特徴です。
この地域はもともと耕作には適しておらず、荒れ放題の地だったのですが、
中世以来、長い時間をかけ、穀物とブドウ、オリーブなどの樹木を

同一の耕地で栽培し、丘の斜面にブドウ畑とオリーブ畑が交互に見える

この景観をつくり上げてきたのだとか・・・

 

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古代ローマ時代にひかれた街道を中世にはローマやエルサレムに向かう巡礼者や商人が
行き来し、多くの城塞が築かれ、モンタルチーノやピエンツァといった町が

小高い丘に点在し、今現在もそのままの姿をとどめています。

 

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    (道路から見た標高491メートルのピエンツァの町)

 

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      (ピエンツァの中心、ドゥオモ前)

 

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     (モンタルチーノからの眺め)

 

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  (モンタルチーノの中心にある時計台)


オルチャ渓谷の、どこを切り取っても、そしてどれだけ見ていても飽きない魅力。

この辺りは良質で安価なアグリツーリズモもいっぱいあるので、ゆっくり1週間単位で

滞在するのがオススメです。

 

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7月だとヒマワリが満開で一面が黄色に染まる美しい時期なのだとか・・・
今度は是非そのヒマワリを見に来たい♪

 

皆様も素敵な夏を!Buone vacanze a tutti.

 

 


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スタンダール博物館;グルノーブル

2年ほど前ですが、南仏プロヴァンス地方からイタリアへ帰る前にどうしても

グルノーブルに行きたくなって、車を走らせること約2時間半。

260kmほど北上し、とうとう念願叶って辿り着いた先は

スタンダールの生誕地グルノーブル。

 

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パリには山がないと日記の中で嘆いていたスタンダールですが、
生まれ故郷の山を懐かしんだのも無理はないと、グルノーブルに

到着した瞬間に思いました。
グルノーブルでは至る所から様々な形状の山を楽しむことができるのです。

 

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彼が自伝的作品『アンリ・ブリュラールの生涯』で何度も書いていた
美しいグルネット広場に足を踏み入れると、19世紀の版画で見た
「グルネット広場」と同じように、噴水の奥にスタンダールの祖父
ガニョン氏が1789年まで住んでいたアパルトマンが同じ姿で建っていました。

ここは現在「スタンダール博物館」として開館しているのです。

 

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入り口の呼び鈴を押して博物館へ・・・この古い木の扉、
きっと19世紀から変わっていないと思うと、だんだんドキドキしてきます。
ここを少年スタンダールも出たり入ったりしてたんだなぁと感動もひとしお。

 

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入り口の扉をくぐると小さな暗いパティオがあって、ほとんど修復されていない
感じの、古ぼけたアパルトマンになっていました。
その「アンティークさ」が、増々私を19世紀に近づけてくれる気がします(笑)

 

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博物館といっても、個人宅へお邪魔する感じです・・・
最上階まで上り、再び呼び鈴を押すと若い女性が迎えてくれました。

 

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私と連れ以外に来客はなし、というより、ここに誰か来るんだろうか?と
言うぐらいのひっそりとした静けさ。

サロンと寝室(だった部屋)と書斎とテラスという、たった3室とテラスだけの

小さな博物館でした。
そこにスタンダール縁の人々の肖像画をはじめ、彼の手紙やちょっとしたメモ、

作品の初版本、そしてイタリア滞在中に集めたらしい絵画や版画などの一部が

展示されていました。

 

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悪筆で有名なスタンダールの直筆を「生」で見るのは初めてだったので興奮!
彼は仏語・伊語・英語混合使用や当時の警察を意識し、故意での悪筆であったりと

判読が難しいのだそうです。


なるほど、何枚かメモが展示されていましたが、一体何を書いてるのやら??
仏語っぽいのも見えるような、でもよく見ると英語だったり、ひと言だけ
伊語だったり・・・それが母国語ではない私には到底理解できません。
これを判読して、まとめて、全集を出版した、最初の人たちの努力には
感謝したい気持ちでいっぱいになりました。

彼の有名な遺言書「Visse生きた、Scrisse書いた、Amo愛した」の
メモらしきものも博物館に展示されていましたが、それを自分の目で
判読できた時の喜びは到底言葉では表現できません。

そして祖父ガニョン氏の書斎には美しい装幀の本がガラスの書棚に
並べられ、百科事典や植物事典などがあり、その横には装飾をほどこした

書き物机・・・この机で少年スタンダールも勉強したのでしょうか。

 

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その書斎からスタンダールが愛したテラスへ出られるようになっています。
このテラスが、本当に心地よくて、素晴らしく、気候の良い時期なら
何時間でも時間を過ごせる感じがしました。
今では回りに建物が並んでしまって、遠くまで見えないのですが、
スタンダールが住んでいた頃は、ここからサン・タンドレ教会や
その奥にそびえる山々が見えていたのだとか。

 

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 ー 私たち(祖父とスタンダール)はテラスで夏の夕べを
   七時から九時半まで一緒に過ごした。
   九時にはサン・タンドレで閉門の鐘がなり、
   この美しい音色は私に激しい感動を与えた ー

と『アンリ・ブリュラールの生涯』に書かれてあります。
幼少の頃のこうした祖父とのテラスでの時間はスタンダールにとって
楽しい思い出だったのでしょうね。
このテラスで祖父は(彼の父親が絶対にしないような)星座の話なども
語ってくれたのだとも書かれてあります。

 

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入り口でカタログを購入し、その横にゲストブックがあったので好奇心から

パラパラめくると仏語以外に英語、独語、そして中国語までありました。
中国からもスタンダール・ファンが駆けつけてきたのでしょうか。
負けじと日本語で私もひと言残してきました。




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世界遺産;サヴォイア家のヴェナリア王宮

トリノ市内から西北10kmの所にある人口3万5千人ほどの町

ヴェナリア・レアーレにある、もとはカルロ・エマヌエーレ2世(17世紀)の
狩猟用の館として建てられたヴェナリア王宮へ目の保養をしに行ってきました。

 

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実はこの狩猟の館、フランス軍の戦火にまみれて一度破損し、

そしてその後、跡を継いだヴィットリオ・アメデオ2世はシチリア人建築家ユヴァッラ

(ユヴァッラはトリノに20年間滞在し、アメデオ2世のもと宮廷建築家として働く)に
再建工事を依頼し、18世紀になって現在見られるような華麗で優雅な

バロック様式の館に生まれ変わります。

 

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個人的にこの白い回廊、ディアナの回廊と呼ばれていますが、ここが

一番素晴らしいと思いました。あまりの美しさにうっとり。大きな窓からは

光が燦々と差し込み、80ヘクタールにも及ぶイタリア式庭園を見ることができます。

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聖ウベルト礼拝堂もユヴァッラの設計。 この建築家はなんて甘くて優しい

そして美しい設計をする人なんでしょうか。

 

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ふと天井を見ると、クーポラには「騙し絵」の工夫が・・・

写真だと分かりにくいかもしれませんが、クーポラの先端は丸いんですが

あたかもまだ先へ伸びているかのように描かれています!


アメデオ2世はヴェルサイユでルイ14世の姪アンヌ・マリー・ドルレアンと

結婚しましたが、このアンヌをはじめ、アメデオの母親もフランス王家の出身で、

もともとピエモンテ州はフランスとの縁が深いことがうかがえます。

 

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   (サヴォイア公妃アンヌ・マリー)

 

あとヴェナリア王宮で見逃せない展覧会をやっているので、そちらも是非!

必見です。(来年2016年2月7日まで)

 

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ヴェネツィアで1729年に作られた、世界で唯一残るブチントーロの展示です!!

ブチントーロとは、ヴェネツィア共和国の総督が毎年復活祭に行われる「海との結婚」

という行事で総督がアドリア海に出港するというパフォーマンスに使用された

ガレー船。しかしナポレオンがヴェネツィアを征服した1798年に全て破壊されて

しまったのです・・・

が、しかし!!アメデオ2世は自分が作らせたブチントーロをご丁寧に

トリノ郊外の、この王宮までポー川を伝って送らせていて、破壊をまぬがれたのです。

 

このアメデオ2世が注文した長さ16メートルのブチントーロは、歴代の総督の

ブチントーロ(長さ35メートル、高さ8メートル)に比べると、少々小さいですが、

当時のヴェネツィア共和国の栄華を今に伝えるには役立っていますね。

 

目の保養のあとはしっかり(暑かったけど)Bicerin/ビチェリンも堪能。

 

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本家(トリノ市内)のと違ってなんと自分でブレンドするスタイルでした。

1800年頃からトリノで朝食時に飲まれているというビチェリン。
当時は15セント・リラ(いくらぐらいの価値でしょうか??)だったとか。
寒い冬の朝にはいいかも・・・暑い日にはオススメできません(笑)

 


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