エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

絵画の中のファッション

以前ブログでご紹介したブロンズィーノ描くエレオノーラ・ダ・トレドの

肖像画。その時にドレスに使われている美しい布地について少し触れましたが、

今回はその袖からポコポコとはみ出ている、白い布について書きたいと思います。

 

egotisme.hatenablog.com

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美しい袖の布地の切れ目からはみ出ている白い布地・・・

ルネサンス時代のドレスの袖は常に取り外しができるようになっていて

そこだけ取り替えたりしていたようですね。その縫い合わされていない

布と布の間から下に着ている白い服がはみ出しているのです。

 

この白い服はずばり「下着」です!

当時はリネン製の白い下着を着ていたようで、色々な肖像画を見れば、この

白い下着がいかに大切だったかが分かります。

 

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ティツィアーノ描く1514年頃の肖像画にもポコポコと袖から白い布が

はみ出していますね。まるでそれがアクセントになっているかのようです。

 

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もちろん女性だけでなく、男性の衣装にも同じように下着がはみ出るような

袖の仕組みになっています。これはフランソワ1世の肖像画です。

よく見れば袖だけでなく、前身ごろからも白い布がはみ出ていますね。

フランソワ1世のオシャレ心だったのでしょうか。

 

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こちらは1530年頃のバルトロメオ・ヴェネトが描いた肖像画。

光沢のある美しい表着が故意に切られ、その隙間から白い下着がのぞくような

形になっています。

 

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これはラファエロが描いた1516年頃の肖像画。こちらはポコポコと、というよりも

大きく切れた布地からチラリと見える感じの袖になっています。

豪華な衣装の隙間からこうして白い下着をのぞかせる流行がルネサンス期に

あったということが分かります。現在もジーンズなどを切り裂くような

流行がありますが、ルネサンス期にも上の絵にあるように「切り裂いた袖」が

大流行したのだそうです。意外な所で現代との共通点が見えて面白いですね。

 

こうしたリネンの下着は、中世頃からなんと19世紀の末まで、ほとんど形の変化なく

男女ともほぼ同型で使用されていたのだとか。ヨーロッパで木綿が一般的になるのは

19世紀はじめ頃。それまではリネンだけだったのですね。

 

リネンは下着だけでなく、ファッションにとって不可欠だったレースの材料でも

ありました。このルネサンス時代に流行ったドーナツ状の襞襟もリネン製です。

 

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言わずと知れたエリザベス女王1世の肖像画。この襟を「ラフ」と呼びます。

主に16世紀から17世紀頃にヨーロッパ中で流行したようですが、

特にスペインやオランダで大流行しました。

エリザベス女王のラフも美しいですけど、袖や前身ごろから

白い下着が出ていますね。この肖像画が1575年頃に描かれているのを考えれば

これがかなり長い間ヨーロッパ中で大流行していたということが分かります。

 

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1606年頃のルーベンス描く肖像画です。17世紀になると袖からポコポコと

白い下着が見えるのがなくなって、襞襟だけがやたらと強調されています。

 

このラフは(また下着も)白色だから汚れやすく、それを常に真っ白に

保っておくのは手間暇のかかることだったでしょう。もちろん庶民や農民には

そんな白い下着をつけるような贅沢は出来なかったと思います。

だからこそ、こうした肖像画でもより強調して描かれているのではないでしょうか。

当時はラフの形を保ち常に白い状態を維持するため専用の召使まで存在したとか!

つまり白い下着をはみ出させ、ラフの美しい形を保った姿を肖像画に残すのは

それだけ「服それ自体の価値」を誇示し、贅沢な行為であることを知らせるという

役割もあったのでしょうね。

 


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ラファエロ;巨匠からの影響

美術史では、1520年のラファエロの死を以て「ルネサンスの終わり」と

し、その後の様式「マニエリスム」へと変化していきます。

そんな一つの重要な区切りを担う画家ラファエロは1483年にウルビーノで

生まれました。

 

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彼の父親も画家であり、また母親は裕福な商人の娘で、その間に

生まれたラファエロは当時としては珍しく母乳で育てられたと

言われています。これはヴァザーリが『芸術家列伝』の中で

「ミケランジェロが母乳ではなく、乳母の乳によって育てられ、それが

石工の妻であったために彫刻家になった」という記述と対照してみると

面白いですね。

 

ラファエロの父は彼が11歳の時に亡くなり(母親は彼が8歳の時に

亡くなっていました)孤児になりましたが、その頃ちょうどペルージャの

ペルジーノの工房へ弟子入りすることになります。

 

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     (ペルジーノ作)

 

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    (ラファエロ作)

 

この磔刑図(上)は師ペルジーノのものですが、ラファエロは非常に

素描力に優れていたようで、どんな絵や技法であれ、直ちに自分の物に

できたのだとか。 この修業時代のラファエロの絵は師のペルジーノと

区別がつかないものが多いようです。下段の磔刑図はペルジーノの画風と

そっくりのラファエロの作品。師の優美な様式まで取得しているのが

分かります。

 

このブログで以前ご紹介した「聖母の結婚」にも、師と同じ様式に加え、

少し自分の画風を確立していくようなラファエロを見出すことができます。

egotisme.hatenablog.com

 

1495年頃からは師と一緒にウンブリアやマルケだけに留まらず、

ヴェネツィアにまで足を伸ばし、他の地域の芸術家たちと

交流をするようになりました。そこでラファエロの画風も少し変化が

表れます。

 

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1500年頃、北方の画家ヒエロニムス・ボスがヴェネツィアに滞在し、

イタリア人画家たちと交流していたようですが、そこに恐らくラファエロも

参加していた可能性があります。上の絵はそのヒエロニムス・ボスなどの

北方の影響と、ヴェネツィア派絵画の「光と影」の使い方が見受けられ、

優美さは残っているものの、ペルジーノの画風はどこかへ行ってしまったような

感じです。

 

その後ラファエロはルネサンス文化の中心フィレンツェへ行きます。

そこで巨匠レオナルドとミケランジェロの作品に遭遇するのです。

 

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  (レオナルド;聖アンナと聖母子)

 

ラファエロはレオナルドから人物の動作や表情、しぐさなどを学び、

ミケランジェロからは古典的なバランスを学んだと言われています。

このレオナルドの「聖アンナと聖母子」の絶妙なピラミッド型の

幾何学的な構図の中に人物が配置され、安定感が表現されているのを

ラファエロは自分の作品にどんどん取り込んでいきました。

 

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   (ラファエロ;牧場の聖母)

 

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 (レオナルド;岩窟の聖母の部分)

 

ラファエロの聖母子の典型的なピラミッド型構図や人物の動作など

レオナルドからの影響が色々と見られますね。

聖母の微笑みも、レオナルドのそれと酷似しつつも、レオナルドのような

神秘性はなく、ラファエロ特有の優美さが加わっている感じです。

 

またミケランジェロからの影響も大きく受けています。

 

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      (ミケランジェロ;ピエタ)

 

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       (ラファエロ;キリストの埋葬)

 

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デッサン力のあったラファエロはミケランジェロの彫刻を何度もデッサンし、

そして自分の作品に反映させていったことがよく分かります。

この「キリストの埋葬」で、キリストの足を持っているニコデモの身体は

まるでミケランジェロのダヴィデ像のようにたくましい肉体美で描かれています。

ここまでくると、もはや師だったペルジーノの画風とは全く違っています。

 

ミケランジェロはこうしてすぐに技術等を身につけて作品を仕上げる

ラファエロのことを「真似ばかりして気持ち悪い」と敬遠していたのだとか。

 

巨匠からの影響を次々と受け、その技術や画風を自分なりのやり方で表現していった

ラファエロですが、わずか37歳という若さで生涯を閉じました。

 


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ミラノの謎;四方山話 

ミラノの大聖堂ドゥオモと、そのドゥオモ広場に面して設計された
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世アーケード、通称「ガッレリア」は

19世紀に興ったリソルジメント(イタリア統一運動)の混乱後に
建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって設計・建設された、ミラノの

シンボル的存在の美しいアーケードです。観光される方も、ここを通らないで

ミラノ観光をすることは、まずないと言っても過言ではないぐらい。

 

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このメンゴーニ氏、フォンタネーリチェというボローニャ近郊の小さな町で

生まれました。その後、名門ボローニャ大学を卒業し、エンジニアになり、
またボローニャ芸術学校へも通っていたという、芸術にも造詣が深い多才な

人物だったようで、ボローニャのCassa di Risparmio(貯蓄銀行)などの

美しい建物も彼が手がけました。

 

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(ジュゼッペ・メンゴーニ)

 

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1859年にミラノでガッレリア建設のための「設計コンクール」を開き、

それに176人の建築家や設計士が応募。その時の優勝者がメンゴーニ氏でした。


そして悲願のイタリア統一後、初代イタリア国王ヴィットーリオ・

エマヌエーレ2世の名前を冠した素晴らしいガッレリアにしようという事で

1865年から工事が始まり、約12年の歳月をかけて1877年に完成しました。

 

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(ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世)

 

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   (建設途中の写真)

 

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    (完成後1880年頃の写真)

 

完成までほぼ順調にきて、当時はこの設計に賛否両論、色々と議論が

あったようですが、なんとか完成にこぎつけました。

見るも美しいガッレリアになり、さて次の日は国王にこのガッレリアを

お披露目するという時になった1877年12月30日。
なんとメンゴーニ氏、最終チェックのためにガッレリア上部を
視察中に50mの高さから落ちて亡くなってしまったのです!!!

 

12年もの歳月を費やし、明日はやっと国王へのお披露目という時に
本当に足をすべらせて落ちてしまったのだろうか・・・
もしかしたら誰かに恨まれて落とされてしまったのでは・・・
いや、もしかしたら自ら落ちたのかもしれない・・・
などなど色んな噂が飛び交ったことは想像に難くないですね。

 

この件に関しては色々な疑問があるようですが、大きくは3つ。

1、その時、誰も彼が落ちたところを見ていなかった
2、ガッレリアのデザインに反対派の批判が当時からかなりあって、
メンゴーニ氏はその批判にかなり精神的に参っていたらしい
3、肝心の 国王の体調がその時期あまり良くなく、お披露目式には
もしかしたら出席できない可能性があり、メンゴーニは「自分の事が
認められていないのだ」と悲観的になっていた

 

こうした理由から、メンゴーニが自殺したのか、他殺なのか、それとも

ただ足をすべらせただけなのか・・・100年以上経った今現在も、

理由はハッキリ分かっておらず、謎につつまれたミラノのガッレリアなのです。

    

そしてガッレリア完成10日後には、なんと国王もローマで亡くなり、
ミラノのガッレリアを国王はおそらく見ていないでしょう・・・

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今もミラノのガッレリア入り口には設計者ジュゼッペ・メンゴーニの
プレートがはめ込まれ、お披露目前日1877年12月30日に
ここで亡くなったと書かれています。なんとも切ないプレートです。

 

去年から、ガッレリア上部に備え付けられている約250メートルの長さの通路が

一般公開され、ミラノのパノラマが楽しめるようになりました。

オープン時間は毎日9時から21時までで、お天気の良い日はオススメです。

www.highlinegalleria.com

 

 


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ジョルジョーネの色調主義

16世紀、ヴェネツィアを中心とする北イタリアでは、フィレンツェなど

中部イタリアとは違う美術様式が生まれていました。

トスカーナ美術は素描が特徴で、ヴェネツィア美術のそれは彩色と言われます。

北イタリアではやはりレオナルド・ダ・ヴィンチの「スフマート」の影響が

非常に大きかったのだと思われます。

色彩と大気の様態の再現、油彩画ならではの豊かな筆致・・・

 

そうした技術をいち早く身につけ、ヴァザーリが「レオナルドの陰影の

精妙な味わいに感動し、生涯それを手本にした」と語ったヴェネツィア派の

代表ジョルジョーネをご紹介したいと思います。

 

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     (ジョルジョーネの自画像)

 

実は画家ジョルジョーネはその名声、影響力とともに甚大であったにもかかわらず、

その生涯について知られている事実は非常に少ないのです。また彼は作品にサインを

しなかったので、どれがジョルジョーネによるものなのかもハッキリとは分かって

いません。確実にジョルジョーネ作と確認されているのは、わずか6点ほど。また

生没年に関してすら先ほどのヴァザーリが記した『芸術家列伝』初版に1477年、

第2版に1478年生まれ、と書かれてあるだけです。

 

そのヴァザーリ曰く「ジョルジョーネは生まれは卑しかったが、終生礼儀正しかった。ヴェネツィアに育ち、常に女性を愛するのを好み、リュートを好み、彼がそれを吹き、歌を歌えば神的なもので、貴人たちの催す音楽の集いにしばしば召し出されるほどであった」と。こうした記述から、社交に長けていて、貴族からのプライベートな注文が

多かったことがうかがえます。

 

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また風景と人物が一体となった絵画を描いた最初の画家で、宗教や寓意、

歴史などの意味を持たない小作品という新しい絵画ジャンルの創始者でもあります。

上の絵も、一応タイトルは「3人の哲学者」ですが、未完だったのを当時の別の

画家が完成させたとも言われ、どこまでがジョルジョーネの筆によるかは不明です。

また主題すらも不明・・・3人いるので東方三博士を描いたという説があったり、

また哲学における流派を描いたという説があったり、色々な説があるのですが

どれも確実ではないようです。しかし注目すべきは、まるでこの絵画の主人公の

ように画面中央に広がる美しい風景。そして光と影による奥行き感。

色彩によって夕暮れのひと時を柔らかく表現しています。

 

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純潔のシンボルである月桂樹を背景にした若い女性の肖像「ラウラ」は

1506年の作品と言われています。伝統的なヴェネツィア絵画では「ラウラ」は

娼婦を暗示していました。この絵も胸をはだけている事などから、おそらく当時の

コルティジャーナを描いていると思われます。これを見て、ふと思い出すのが

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像画」です。

 

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月桂樹と椰子に囲まれたセイヨウネズ (ginepro) の小枝はこのジネーヴラの名前 (Ginevra) を示唆しています。こうした背景に樹木を描き、その人物を表現する

方法をジョルジョーネはおそらくレオナルドから学んだと思われます。
ジョルジョーネが、もしレオナルドの作品を見たとすれば、1500年にレオナルドが

ヴェネツィアへ行った時だったでしょう。その際にきっと交流があったに

違いありません。ジョルジョーネの自画像などを見ても、レオナル ドの「聖ヨハネ」を思わせる明暗法を感じさせます。

 

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上の肖像画には、なんと2人の若者が描かれていますが、おそらく2人同時に

こうして描かれた肖像画というのはジョルジョーネ以前にはなかなかないのでは

ないでしょうか。詩的な感じさえ漂うこの絵をよく見ると、手前の若者の手には

果物(だいだい)が・・・この果物は少し苦くて甘酸っぱいことから、

「メランコリー」を意味するそうです。なるほど、この若者のメランコリックな

感情を表現していますよね。私の美術史の先生がおっしゃるには、こうした手に

果物という構図はその後カラヴァッジョに受け継がれていくとのこと。

 

フィレンツェやローマでは15世紀以来、物語や歴史が美術における主題の最高位に

置かれてきました。これに対し、北イタリアでは古典や聖書の物語に束縛されない

自由な表現を求めています。トスカーナ地方にいたヴァザーリは批判的にそのような

作品を「幻想;ファンタジーア」と呼び、画家の幻想が物語や歴史から分離することを問題視していたようです。


しかしマントヴァのイザベッラ・デステなどはそのような「ファンタジーア」の作品を欲しがっていました。同じイタリアでも、北と中部、南部では色々と「好み」も違ったのですね。北イタリアでは絵画はまさしく「詩;ポエジーア」である、という評論家

まで現れたと言われます。


ここでまたヴァザーリは「ジョルジョーネは幻想の赴くままに人間を描き、芸術上の

表現にのみ心を砕いた」と。だからヴァザーリには判断がつきかねたという意味

でしょうか。

 

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ジョルジョーネによって1510年頃に描かれた「眠れるヴィーナス」です。

これはもう、主題自体が当時としては異例でした。なぜなら、一人の裸の女性が

野外に横たわり、これだけの大きさの裸婦画は前例がなかったからです。

柔らかな色彩でまとめられた、のどかな田園地帯を背景に眠るヴィーナスの姿、

この絵画の構成はその後、長きに渡って、こうした横たわるヴィーナスの伝統の原点ともなりました。

ただこの作品も未完だったので、ティツィアーノの手が入っているようです。

(私の美術史の先生は赤いクッションやシーツの部分がジョルジョーネの筆というより

ティツィアーノっぽいとおっしゃってましたが、どうなのでしょう)

 

ヴェネツィアでは現実の感覚的な経験や人生の享楽的な味わいが好まれ、光や色の

ぼんやりした色調を段階的にぼかす(スフマート)ことにより描いた絵を

浮かび上がらせる、重ね塗りの技法が非常に発展しました。それを色調主義と呼びますが、フィレンツェをはじめとするトスカーナ地方ではデッサンと明暗法、遠近法が

駆使されていました。同じ「ルネサンス」期といっても、地域によって違いが

あるのですね。


イタリアの著名な美術史家ロベルト・ロンギは「ジョルジョーネの偉大さは

色彩のくつろぎにある」と。素敵な言葉だと思いませんか。

 

 残念ながら、ジョルジョーネはペストにかかり、1510年頃に32歳(または33歳)で

亡くなりました。

 

 


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ミラノの邸宅美術館;ポルディ・ペッツォーリ美術館

ミラノには邸宅美術館と呼ばれる美術館が4軒ほどありますが

その中でも一番有名なのがこのポルディ・ペッツォーリ美術館。

中は当主であったジャン・ジャコモが欧州中から蒐集した美術品が

展示されていて、一見の価値あり。

1881年から一般公開されている古い美術館です。

 

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ミラノの名門貴族トリヴルツィオ家のローザと
19世紀当時オーストリア政府への最大の納税者として有名だった
ポルディ・ペッツォーリ家ジュゼッペの息子として
ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは1822年7月27日に

生を受けました。

 

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早くに父を亡くしたジャン・ジャコモへの教育は芸術に造詣の
深かった母ローザが献身的に教授したようです。
そしてそれまでのトリヴルツィオ家所蔵の芸術品、様々な手稿、
工芸品にも彼は幼い頃から囲まれて暮らしていました。

審美眼はそうして培われていったのでしょうね。

1846年24歳になったジャン・ジャコモは当時の貴族の子息が

するようにヨーロッパ中を旅します。その土地、土地であらゆる

芸術を見聞し、そして自らも蒐集を始めるようになりました。

ボッティチェッリやピエロ・デッラ・フランチェスカ、ポッライオーロ、

マンテーニャなどのイタリア人画家の作品を次々に蒐集していきます。

 

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こちらはジャン・ジャコモが蒐集したボッティチェッリの

「書物の聖母」で、このブログでご紹介しています。

 

egotisme.hatenablog.com

 

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そしてヴェネツィア派の代表ジョヴァンニ・ベッリーニの

「ピエタ」、背景に風景が描きこまれています。

 

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ピエロ・デル・ポッライオーロの「貴婦人の肖像」は

古典的なプロフィールの美しい作品。

髪の毛一本、一本まで丁寧に描かれているのが印象的。

 

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マンテーニャの「聖母子像」はビザンチンの影響が遠ざかり、

聖母もキリストも本当の人間に近づいています。

何より、この絵はキリストの愛おしい表情に釘づけです・・・

 

ちょうどその当時、ロンドンやパリなどの大都市では

「蒐集した貴重な美術品を邸宅に飾り、まるで美術館のように

公開する」ということが流行していたようですね。

このブログでもご紹介したパリの邸宅美術館もそうしたものの

一つだと思います。

egotisme.hatenablog.com


そこでジャン・ジャコモもこれに続けとばかりに、ミラノへ戻ってきてから
1849年にポルディ・ペッツォーリ家を友人たちに公開しました。

 

階段や寝室はバロック様式に、「黒いサロン」と名付けられた部屋は
ルネサンス初期の様式に、書斎は14世紀をイメージ、そして武器や武具の
部屋はかなり広いスペースを用意する・・・などなど様々な様式を

折衷し、イタリア中、ヨーロッパ中から集めた彼のお目がねに叶った

美術品が飾られました。
招待された芸術家や友人たちは賞賛の声を惜しまなかったと言います。

 

1879年ジャン・ジャコモは57年の生涯を閉じました。

 

その後この美術館は第2次世界大戦中,連合軍による
ミラノ爆撃によって天井、壁、美しい天窓、備え付けの素晴らしい
調度品などが破損するという被害を被ります。
戦争が始まったときに絵画や工芸品(持ち運びできるものは全て)は
別の場所に非難させておいて無事だったのが、不幸中の幸いでしょう。

 

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これら爆撃前に撮ってあった写真などを参考に、戦後それこそ気が

遠くなるような修復・復元作業を続けてポルディ・ペッツォーリ美術館は
1951年、再びよみがえります。


そして現在も当時の面影が少し残る中、ジャン・ジャコモが財の限りを

尽くして蒐集した美しい美術品が一緒に楽しめる美術館として

一般公開されています。

 


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カラヴァッジョの静物画 果物籠 

ミラノのアンブロジアーナ絵画館にあるカラヴァッジョの「果物籠」。

先月、かなり久しぶりに鑑賞する機会に恵まれました。

以前観た時と展示位置や照明が変わったので、今までもっと「黄色い」

イメージがあった作品ですが、薄いクリーム色というか白っぽいイメージに

変化した気がするのは私だけでしょうか。

 

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こうした静物画という画題が独立した絵画ジャンルとなる一歩を

踏み出したのは16世紀半ばのことです。

ただ当時、絵画はジャンルごとに等級化されていて、最高のジャンルは

もちろん宗教画、そして歴史画、肖像画、風景画、風俗画という順番でした。

そして最下級に静物画が置かれていました。これは花や果物などの存在する

領域が「卑しい現実」と思われていたこと。そして絵画技術においてもっとも

高級なのが人体描写、人間を主題とする「意味をもつ」大画面を構成すると

いうことが画家の使命でもあったわけです。

 

当時(それ以降も)は静物画の担い手に女性画家が多かったのも、残念ながら

「女にも出来る職人仕事」だと思われていたからです。また、女性は裸体の

写生を禁じられていましたので、人体表現の訓練が出来なかったということも

あります。

 

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(オッタヴィオ・レオーニ作カラヴァッジョの肖像)

 

話が逸れてしまいましたが、カラヴァッジョはそういう風潮があった

当時に「花の絵を描くことと、聖母の絵を描くことは同じ価値がある」と

言っています。非常に新しい(変わった?)考え方だったでしょうね。

 

カラヴァッジョの「エマオの晩餐」について以前このブログでもご紹介

しましたが、↓

egotisme.hatenablog.com

そこでもカラヴァッジョは果物籠を描いていますが、テーブルの端から

今にも落ちそうな感じで描かれているのが気になりますね。

そしてアンブロジアーナ絵画館にある「果物籠」も、よく見ると

台の端にはみ出して描かれているのです。

 

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台座からはみ出すように人物や物を置くということは、ルネサンス時代から

描かれていました。これは「浮彫効果」を狙うためだったとも言われます。

またこうして不安定な状態に置くことによって、安定した土台にない、つまり

危ない、脆い存在であるとの表現かもしれません。

 

西洋文化において、果物といえば、アダムとエヴァが食べた知恵の樹の実。

そして果物は人間の五感のひとつ、味覚の寓意でもありました。果物は甘く、

虫が食いやすい、また腐りやすいものと考えられ、甘美ながら束の間の

「快楽」の寓意としても考えられてきたようです。

 

カラヴァッジョの「果物籠」にも林檎の所々に虫の食った跡が。

これはすでに退廃の始まりを意味しているのだとか。

またブドウの葉もみずみずしく描かれているものと、枯れ始めている

葉も見受けられます。それはブドウの汁気を多く含んだ輝くような実と

対比して、まるでカサカサとした音まで聞こえそうです。

 

静物という具体的なものをこうして描くことによって「世俗的快楽の

はかなさ」という観念を表現するという方法は、最後の晩餐などの

宗教画の中から次第に生まれ、そして発展してきました。

 

イタリアはルネサンス以来、宗教画や人物像の伝統を頑なに守って

きました。そんな中でカラヴァッジョの「果物籠」は初めての独立した

静物画だったのです。

 

参考文献; 三浦篤 『まなざしのレッスン1』

      若桑みどり 『絵画を読む イコノロジー入門』

      田中英道 『イタリア美術史』

      http://www.ambrosiana.eu/cms/

 

 


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マザッチョの革新性

フィレンツェのサンタ・マリア・デル・カルミネ教会の中にある

ブランカッチ礼拝堂。ここに描かれたマザッチョの壁画は

「絵画の学校」とも呼ばれ、後のレオナルドも、ラファエロも、

そしてミケランジェロも足しげく通っては模写したと伝えられています。

 

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マザッチョは「絵画の本質は生きている自然をあるがままに、デッサンと

色彩で飾り気なく、出来る限り正確に再現することだ」と考えていました。

この考えこそが、ルネサンス美術の基本的な姿勢であり、自然模倣そして

現実再現を目指したマザッチョが、このブランカッチ礼拝堂で見事に

表現したといえます。

 

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マザッチョは建築家ブルネレスキが試みた線遠近法を駆使し、ひとつの

光源(窓から差し込む光)を想定して、陰影も投影も描いています!

約1世紀前のジョットにはこの「投影」という試みはありませんでした。

 

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(ジョットの有名な「ユダの接吻」には陰影で体のボリューム感は

表現されていても、投影は描かれていません)

 

そしてもっとも素晴らしいのが「楽園追放」のアダムとエヴァ。

 

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彼らの足元にも影があり、奥行きのある空間を表現しています。

追放されるエヴァの表情・・・二度と取り戻すことのできない至福の日々、

浅はかであった自らの行為は悔やんでも悔やみきれないという嘆きが凝縮され、

一度見たら二度と忘れられないような印象的な表情。その横で絶望のあまり

顔を覆うアダム。何度見ても感動的なシーンです。


こうした奥行きのある空間や激しい感情表現こそ、ルネサンス美術が

新たに獲得したもので、まさにマザッチョこそがその先駆者にふさわしいと

言えるでしょう。

 

マザッチョといえば忘れてはいけないのがナポリにあるキリスト磔刑図。

 

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マグダラのマリアが、なんと後ろ向きで若干大げさともいえる

ジェスチャーで嘆きの表現がされていますが、こうした後ろ姿で

マグダラのマリアが描かれたのは、おそらくこの絵が初めてとの事。

当時としては新しくかつ大胆な試みだったのではないでしょうか。

 

またこのキリストの体の表現方法もそれまでと違って、どうも

見る人の視点(つまり下から上を向いてこの絵を見る)を考慮し、

描いているように見受けられます。

 

そうした見る人の視点を考えた作品の主要なものがこちら。

ご存じ、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会の「三位一体」です。

 

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この磔刑図の背景はゴルゴダの丘ではなく、ブルネレスキ風の

美しいアーチの建築が活かされている空間。完ぺきな遠近法で

描かれていて、奥行きを感じさせます。

キリストの顔は理想化された顔ではなく、人間らしい顔であることも

特徴でしょう。何より、聖母マリアの顔が、フィレンツェの町中を

歩いている、普通の女性のような表情なのです!

 

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そして、このしぐさ。聖母のこうした見る人への注意をどことなく

促すように描かれているのも、実はこの絵が初めてなのです!

 

ヴァザーリは「マザッチョはいつも雲の上にいるようで、心はいつも芸術にあり、

自分のことはもとより、他人のことも全く構わなかった」と書いています。

なるほど、少しマザッチョが理解できるような気がしますね。

 

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マザッチョの自画像と言われていますが、意思の強そうな瞳が印象的。

彼は1401年12月21日に生まれ、なんと27歳という若さで亡くなりました。

またまたヴァザーリの言ですが「毒殺以外に死因は考えられないという

人に事欠かない」とか。素晴らしい才能に嫉妬した誰かが毒を盛ったの

でしょうか・・・それとも、他人のことにも構わない無頓着なマザッチョ

だったので、敵が案外多かったのでしょうか・・・

 

いずれにせよ、マザッチョの「自然主義」がルネサンスの出発点であること

には間違いがないようです。

 


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イタリア;2015年 秋の展覧会情報

2015年、芸術の秋にふさわしいイタリア各地で開催される展覧会の

情報をお伝えします。これからクリスマス休暇、年末年始にかけて

イタリア旅行を計画されてる方に参考にしていただければと思います。

 

まず、ミラノで見逃せないのがこちら。

 

*フランチェスコ・アイエツ;Hayez

http://www.gallerieditalia.com/hayez/

スカラ座広場のガッレリア・ディタリアで2016年2月21日まで。

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イタリア・ロマン主義の代表といえばフランチェコ・アイエツ。そして

アイエツといえば、この有名な作品「接吻」・・・

このブログでも以前、ご紹介しましたので、是非ご覧ください。

 

egotisme.hatenablog.com

 

この「接吻」には3作あって、それがミラノで一堂に会するのは実は初!

他にもアイエツの作品が120点も展示です。

 

*ジョット;Giotto、L'Italia

http://www.mostragiottoitalia.it/

ミラノ王宮博物館で来年1月10日まで開催中。

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ジョット作品13点が展示されています。見どころはやはり祭壇画。

ジョットについてもこのブログで触れていますので、よろしかったら

ご覧ください。

マエスタ・荘厳の聖母 - エゴチスムな日々

 

*ラファエロからシーレまで;Da Raffaello a Schile

http://www.daraffaelloaschiele.it/la-mostra/

2016年2月7日までミラノ王宮博物館にて開催中です。

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ブタペストにある国立西洋美術館から、ラファエロの「エステルハージの

聖母」やらクラナッハの「サロメ」、アルテミジア・ジェンティレスキ、

ヴァン・ダイク、ティエポロ、カナレット、シーレ・・・

彫刻ではロダンの作品も来伊しています。

盛りだくさんで、めまいがしそうな展覧会ですね。

 

*ボルディーニやデ・ニッティスのベル・エポック;Belle Epoque

http://www.gammanzoni.com/

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マンゾーニ通り45番地にある、ひっそり隠れた小さなギャラリー

GAM Manzoniで2016年2月21日まで開催中の「ベル・エポック」展。

この世界観、好きな方はお見逃しなく♪私はカタログまで買いました。

 

*フランス印象派からピカソまで;Dagli Impressionisti a Picasso

http://www.palazzoducale.genova.it/dagli-impressionisti-a-picasso/

2016年4月10日までジェノヴァのドゥカーレ宮殿で開催中です。

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モネ、ゴッホ、ルノワール、ドガ、ピカソ、マティス・・・約52点の

作品が展示されているようです。印象派を思いっきり堪能できそうな

展覧会ですね。会期が長いのも旅行者には嬉しいかもしれません。

 

*ジェームス・ティソ;James Tissot

http://chiostrodelbramante.it/info/james_tissot/

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イタリアでジェームス・ティソの作品が公開されるのは、これが

初めてなんだとか・・・来年2月21日までローマのブラマンテの回廊で

開催中です(このブラマンテの回廊自体も一見の価値あり。そして

展覧会を見終わったら、是非併設のカフェで回廊も堪能してください)

 

*古代エジプト展;Egitto. Splendore Millenario.

http://www.mostraegitto.it/

ボローニャの考古学博物館で来年7月17日まで開催中。

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オランダの国立ライデン古代博物館所蔵の作品が

来伊しているようです。1700平方メートルの展示スペースに

彫刻などが並ぶ姿は圧巻でしょうね。

 

*エル・グレコ;El Greco in Italia

http://www.elgrecotreviso.it/

トレヴィゾのCasa dei Carraresiで来年4月10日まで開催中。

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エル・グレコってよく知らなかったのですが、本名は

ドメニコス・テオトコプーロスというのだそうです・・・長い。

当時のヴェネツィア共和国統治のクレタ島で生まれ、イタリアを経て

スペイン・トレドへ。

そのイタリア滞在中にイタリア語でギリシャ人を意味する「グレコ」が

今も名前として伝わっているんですね。

 

*ゴッホ、シャガール、フォンタナ;Bellezza Divina

http://www.palazzostrozzi.org/mostre/bellezzadivina/

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フィレンツェのパラッツォ・ストロッツィで来年1月24日まで。

ゴッホの「ピエタ」、モローの「聖セバスティアヌス」、ムンクの

「マドンナ」なんかもあるようです。このドイツの表現主義なんかは

私はよく分からないのですが、お好きな方はお見逃しなく。

 

ミラノ万博があったおかげでしょうか、ミラノの展覧会がやたらと充実

した1年だったような気がします。

 


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パリの邸宅美術館;ジャックマール=アンドレ美術館

邸宅美術館 ----という響きにここ数年、魅せられています。

華麗な邸宅が立ち並ぶパリ8区のオスマン通りにあるジャックマール=アンドレ

美術館はその邸宅美術館の中でもとびきり素敵なものの一つでしょう。

 

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オスマン通り158番地に瀟洒な館ができたのは1875年のことでした。

銀行家のエドゥアール・アンドレと画家だった妻ネリー・ジャックマールは

数十年間に渡り、世界から約5,000点に及ぶ芸術作品を収集し、

世界有数の個人コレクションともいわれています。

 

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入ってすぐに目に飛び込んできたのは、なんと「温室」風の空間。

ナポレオン三世時代には温室が流行していたのだとか。こうした観葉植物を

インテリアにするのは、この時代から始まったのでしょうね。

 

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1階部分には他に大きなサロンや音楽の間などがあり、そこで夫妻は

客人をもてなしました。バロックやロココに見られるような金を取り入れた

豪奢な内装と大きな窓から差し込む光との調和にうっとりします。

 

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他にも夫婦の寝室やプライベート空間も公開され、至るところに

彼らの美意識が集結したような空間が広がり、ただただ美しい。

1階はフランス絵画が中心になっているようで、ふと目に留まったのは

18世紀の画家ジャン=マルク・ナティエの「アンタン侯爵夫人」。

彼の作風は甘美で繊細な色使いが特徴ですが、こうした美しい邸宅の壁に

飾られると一層映えますね。

 

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特筆すべきは、彼らはイタリア・ルネサンス美術への関心が高く、特に妻の

ネリーは、あらゆる画家の中でボッティチェリを最も高く評価していました。

イタリア旅行も頻繁で、そのたびに新しい作品を入手して展示し、ごく親しい

友人だけを招いていたようです。

 

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階段を上がって2階に到着するや、すぐに出迎えてくれるティエポロ。

1745年頃の作品で、アンリ三世のヴェネツィア訪問の様子が描かれています。

この絵はもともとヴェネツィアのコンタリーニ宮殿にあったものを

夫妻が気に入って購入したようです。

このように2階部分はイタリア絵画の間のようになっています。

 

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いきなりジョヴァンニ・ベッリーニ!が登場しました。

が、夫妻はこの絵がベッリーニだとは知らないで購入したようです。

しかし彼らの「目」は確かだった・・・ということでしょうね。

1510年頃の作品です。

 

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とうとうボッティチェリも登場(真ん中の絵)しました。

おそらくボッティチェリが25歳頃の作品(1470年頃)のようです。

妻ネリーは、この作品は「ヴェロッキオの工房」で作られたものだと

確信して購入しました。そして恐らく師ヴェロッキオか、若き弟子

ボッティチェリなのではないかと思っていた・・・

この穏やかな聖母の表情と繊細な線はボッティチェリの特徴。

しかしハッキリと断定されたのはなんと1995年の修復後なんだとか。

それにしても夫妻の審美眼、素晴らしいですね。

 

素敵な邸宅美術館を堪能した後は、当時ダイニングとして使用されていた

部屋がティールームになっているので、そちらで優雅にお茶を頂くのもオツ。

美味しいタルトを頬張りながら考えたことは、旅先で好きなだけ美術蒐集して、

自宅に飾って、夫婦で、または友人たちと愛でつつ、話に花を咲かせ・・・

あぁ、一度でいいからそんな暮らしをしてみたい!

夢のまた夢ですが、そんな夢を見ることをひと時許してくれるのが

邸宅美術館の魅力かもしれません。

 

 

 


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マエスタ・荘厳の聖母

ウフィッツィ美術館の第2室に「Maesta'」(イタリア語で荘厳という意味)と

呼ばれる絵画が3枚あります。マエスタとは玉座につき、聖人や天使に囲まれた

聖母子の絵画のことで、いつの時代にも多くの画家が描き続けてきたテーマ。

この第2室では、シエナ派の巨匠ドゥッチョ、イタリア絵画の創始者として

非常に重要視されている画家チマブーエ、そして西洋絵画の祖とも呼ばれている

ゴシック絵画最大の巨匠ジョットのそれぞれのマエスタを一堂に集め、

13世紀から14世紀初めに起こった西洋絵画の変化を見つめるような展示に

なっているのです。

 

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ドゥッチョはシエナで1255年頃に生まれ、13世紀末から14世紀にかけて

シエナで活躍した画家です。まだまだビザンチン絵画を基盤とした作品が

多いですが、少しずつ人間描写などが現実味を帯びていている感じです。

しかし奥行きの感じられない平面性、聖母の表現が形式的など、やはり

ビザンチン美術の影響がいたるところに見られます。

 

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聖母の後ろに描かれた鮮やかな布地は、当時シエナがこうした織物産業の

拠点、そして流通の要にあったことが分かります。こうした布地の

流れるような表現、非常に「線」を強調したような表現もシエナ派と

呼ばれる絵画の特徴です。

ドゥッチョのマエスタ(1285年頃)はもともとフィレンツェの

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会に納められ、その後、同教会内の

ルチェッライ家礼拝堂に移されました。

そのために「ルチェッライの聖母」とも呼ばれています。

 

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チマブーエは1240年頃にフィレンツェで生まれ、そこで活躍した画家です。

本名はチェンニ・ディ・ペーポなんですが、イタリアでは近代以前の芸術家は

本名ではなくあだ名で呼ばれる人が多いですね。

(有名なボッティチェッリなんかも小さな樽という意味のあだ名)

 

このマエスタはもとはサンタ・トリニタ教会に納められていた作品で

「サンタ・トリニタの聖母」とも呼ばれています。

制作年は1280年から’90年の間ぐらいだと考えられていて、ドゥッチョの

マエスタと同じ頃で、聖母はまだまだビザンチン様式の影響が強いですね。

しかし玉座がまるで建築物のように描かれ、写実的に表されています。

不完全ながらも遠近法が少し試されているような画面の構成に変化が

見られると思います。

 

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聖母子の表情にもどこか人間の表情のようなものが感じられますね。

ジョットの師であったチマブーエは、ドゥッチョと同じく、ゴシック期から

ルネサンスの夜明けを知らせるような、そんな橋渡し役の画家のような

気がします。

 

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そしてジョットのマエスタ。1308年に描かれました。

オンニサンティ教会に納められていた作品で「オンニサンティの聖母」

とも呼ばれています。
ドゥッチョやチマブーエよりたった20年ほど後に描かれたものですが、

このジョットを境にして、ビザンチン絵画からイタリア絵画へと

独自の道を歩み始める過程が見受けられます。

 

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聖母の中心で消失点を結ぶ遠近法で描かれていて、そのことが前2作と比べ

より現実的な空間になっています。また、それまでの伝統的図式だった

「聖母の首のかしげ」がなくなり、瞳に強い意思すら感じるように真っ直ぐに

こちらに視線を向けています。

天使たちにも表情が与えられ、それまでは空間に浮いていた天使も

地面に重量感をもって立ったり、ひざまずいたりと動きが表されています。

キアロスクーロによって聖母やキリストの体にボリューム感も表現。

そしてゴシック建築のような玉座が写実的な空間を醸し出しています。

こうして絵画に奥行きを持たせ、写実的な空間を表現したジョット。

 

イタリア・ルネサンスの幕開けは、もうすぐそこまで来ています。

 


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