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エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

エマオの晩餐 カラヴァッジョ

イタリア絵画 バロック カラヴァッジョ

カラヴァッジョの作品の特徴はその「瞬間」を劇的な光と影で表現している
ところだと思いますが、その中でも有名な作品「エマオの晩餐」は
カラヴァッジョの思想も随所にうかがえるような感じがして好きです。

キリストの弟子の2人がエマオ近くを語りながら歩いていました。
復活したキリストはその1人のクレオパに近づき、語りながら歩き続けます。
そして弟子たちはそれがキリストだとは気づかずにその晩の食事に招待し、
食卓でパンを分け祝福する姿からイエス・キリストであることに気付く、という
ルカ福音書24章13~32節。
その瞬間の場面を描いたカラヴァッジョの「エマオの晩餐」です。
(ちなみに彼は同じ主題で、ほぼ同じ構図のものをもう1枚描いています)

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クレオパが画面左に座り、右側にもう1人の弟子、その弟子は胸元に巡礼者がつける
ホタテ貝をつけています。
弟子たちの、その咄嗟の動作も含め、クレオパの横顔からうかがえる驚きの
表情、右側の弟子の手が今にも画面から飛び出しそうな勢いで描かれています。
この大きく広げた両手には、もちろん十字架の意味も含まれているでしょう。
この目の前の光景が信じられないと言った感じの宿屋の主人も含め、皆が
当時のイタリア人の服装をしていて、クレオパの右肘には「継ぎ」すら
あたっていません。貧しい農民、市井の人々をモデルにしたのでしょう。

キリストの顔も、若々しく髭もないし、どことなく中性的な感じすら受けます。
これは永遠の命の約束や、復活そして調和という象徴的意味があるようです。

 

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カラヴァッジョが描いた果物籠へ目をやると、そこには完璧なリアリズムと
象徴性を持った静物がテーブルの上を飾っています。
黒い葡萄は「死」を、薄い色の葡萄は「復活」を意味しています。
ざくろは「教会そのもののイメージ」や「イエス・キリスト」自身を、
林檎は「罪」をそれぞれ象徴しているようです。

そして籠の右端に伸びる影が秀逸。それは魚の形をしています。
どうして魚が秘かに描かれて、そしてそれはどういう意味なのでしょうか。
その答えは初期キリスト教の時代にまで遡ります。
ローマ帝国ディオクレティアヌス帝の時代(244~311年)、キリスト教徒は
迫害を受けていました。
そこでキリスト教徒たちは、お互いが同じ信仰を持った同士であることを暗示的に
伝える手段として魚のマークを用いたそうです。

ギリシャ語で「イエス キリスト 神の 子 救い主」と書き、その各単語の
頭文字を順番に集めると「ΙΧΘΥΣ」(イクトゥス)となり、これはギリシャ語で
「魚」を意味する単語となることから、キリスト教徒の隠れたシンボルと
なっていったのです。

こうした当時の人々(そして貧しい人々)を写実的に絵画に描いていった
カラヴァッジョですが、そのこと自体も新しい表現方法でした。
興味深いのは、このバロック期というのは宗教的に大いに混乱を極めた時代で、
かたや絢爛豪華で目も眩むような建築物や作品が作られ、
かたやカラヴァッジョのように貧しい人々に寄り添うような作品も
作られ、絶賛を受ける時代でもあったということです。

 

参照サイト:http://www.blog-arte.net/?tag=la-cena-di-emmaus-caravaggio

 


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