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エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

ポポロ広場

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4月に5年ぶりにローマへ行った際、Italoに乗ってティブルティーナ駅に到着。

それからすぐにポポロ広場まで行って、ポポロ門を「くぐって」ローマへ

来た実感を新たにしていました。

 

なぜそんな事をしたかというと、19世紀末までローマを陸路で訪れる旅行者、

巡礼者は最終的にはフラミーニア街道を通り、ローマの北門ポポロ門から

ローマ入市するのが普通だったのです。

 

モンテーニュも、ゲーテも、スタンダールも、皆このポポロ門をくぐって

ローマへやって来たのです。

その感動はゲーテの『イタリア紀行』にも顕著ですが、私もそんな彼らと

同じ感動を味わってみたくて、ポポロ門からローマへ入ったわけです。

このピラネージの版画は18世紀半ば頃のポポロ広場だと思いますが、

この光景を見て、当時の旅行者たちは「あぁ、ローマに着いた」と

思ったのでしょうね。

 

石鍋真澄著『サン・ピエトロが立つかぎり』はローマ旅行の私の大切な

ガイドブックの一つですが、氏曰く

「現代の都市は市街がだらしなく続いており、いつその都市に入ったのかさえ

はっきりしない。城門をくぐる、というかつての崇高な儀式は永遠に

失われたのである」と。

 

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アントワープ生まれの風景画家ヘンドリック・フランス・ファン・リントの

ポポロ広場の絵も1750年頃のものですが、興味深いです。

現在よりはもちろん「のんびり」した雰囲気ですけど、色んな国の人が

入り交じって、賑わっていた様子はうかがえますね。

 

ちなみに4月に撮ったポポロ広場の写真は・・・

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人・人・人・・・と車の洪水みたいな広場になっていました(笑)

このオベリスクは紀元10年にアウグストゥス帝がエジプト遠征後に

運ばせたもので、その時はチルコ・マッシモに置かれていました。

このポポロ広場に移動させたのは教皇シクストゥス五世。

この教皇は「ローマ再建」を押し進め、都市整備の一環として

ローマの主要箇所をオベリスクで飾ることに熱中していました。

1589年、このオベリスクはポポロ広場の、現在の位置に立てられます。

 

その後17世紀になって、バロックの都市整備に情熱を傾けた教皇

アレクサンドル七世が、あのベルニーニにポポロ広場の装飾を命じます。

三叉路に双子の教会を建てさせ、オベリスクとも相まって、ポポロ広場は

まさに「ローマの壮麗さ」の概念を、全ての旅行者に与えることになったのです。

 

田園風景やぬかるみの田舎道をテクテクと徒歩なり馬車なりで旅してきた、

18世紀や19世紀の旅行者たちの、ポポロ門をくぐった時の感動は

どれほどのものだったでしょう。

残念なことに、現在ではもうゲーテやスタンダールの感動を享受することは

叶わない感じがしました・・・

 


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