エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

忘れられた画家:カルロ・クリヴェッリ

忘れられた芸術家とかいう形容を聞くと、逆に興味が沸いてくるのですが、

先日ブレラ絵画館にマンテーニャを鑑賞しに行った際、彼と同時代で、しかも

おそらく彼と同じくフランチェスコ・スクァルチョーネの弟子だったこともある

ヴェネツィア人カルロ・クリヴェッリの聖母子も堪能してきました。

 

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このカルロ・クリヴェッリこそ美術史上有名な(?)「忘れられた」画家の一人です。

なぜなら『美術家列伝』にてヴァザーリが全く触れなかったためと、ヴェネツィアを

離れ、マルケ地方という、美術の「名所」から外れた地域で活動していたからです。

 

クリヴェッリに関しては、生没年すらハッキリとは分からず、おそらく

1430〜1435年頃にヴェネツィアで画家の子として生まれ、1494年頃、

マルケ地方のどこか(アスコリ、ペルゴーラetc...)で没したらしいです。

彼の名前が史料に出てくるのは1457年3月7日。なんと人妻を誘惑し、数ヶ月に渡り

監禁したため、6ヶ月の投獄および200リラの罰金の刑に処せられたからでした。

この時点で、少しはヴェネツィアで名前を知られていた画家だったのに

その後、死ぬまでヴェネツィアの地を踏むことはなかったのも、フィレンツェや

ローマなどの「美術都市」に身を置かず、田舎のマルケ地方でのみ制作を続けたのも

クリヴェッリの性格を知る上では大切な要素なのかもしれません。

 

彼の作品の中でも特異なのは(あの冷たい美しさを感じる聖母の流し目も、

もちろんですが)自分の名前とヴェネツィアを必ずといっていいほど明記して、

それが同時代の他の画家よりも大きく目立つ署名であること。

 

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こうした署名の大きさは、画家の個人主義の表れである可能性もあり、

またクリヴェッリ自身が、自分の存在を高めるためだったのかもしれません。

 

もう一つの特徴は、若桑みどり著『薔薇のイコノロジー』に書かれていたのですが、

フィレンツェとは違って、パドヴァやヴェネツィア派の画家は「東方的な」影響が

多々見られますが、このクリヴェッリ描く聖母の衣装にも細密入念な文様が

見られること。これはとても興味深いですね。若桑女史は、同著の中で

「クリヴェッリはまるで文様のカタログ作者のような画家である。『受胎告知』に

描きこまれている文様の種類の多さは、15世紀当時に北イタリアの金持ちや

都会人たちが用いていたもののカタログのような趣きがある」と。

 

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この「受胎告知」の絵を観て、何が印象的って、建物の極端な遠近法は当然ながら

マリアの家の2階にはためいているオリエントの特産物のようなカーペット。

向こうに見えるアーチにも、よく見るとカーペットがかけられています。

そこに描き込まれた文様はおそらく宗教的シンボリズムを担っているでしょうし、

その彩飾表現へのクリヴェッリの筆致に執念(?)みたいなものを感じてしまう

私です・・・

 

最後に、クリヴェッリといえば果物や植物の花綱装飾(Festoni)!

しかも胡瓜は欠かせない、彼の「シンボル」的存在でもあります。

この胡瓜を、なぜクリヴェッリが執拗に描き続けたのかは色々と説が

ありますが、中世からルネサンス期にかけて、当時の人々にとっては

胡瓜もカボチャも同じ「ウリ科」の野菜として同一視されていたようです。

旧約聖書の『ヨナ書』に、神がヨナに日陰を与えるために「とうごま」なる植物を

成長させていますが、この「とうごま」も現代のカボチャや胡瓜(もしくは

瓢箪)にあたるのだそうです。

この『ヨナ書』からウリ科の植物(当時の人にとっては胡瓜でもカボチャでも

同一視してるから構わない)は「キリストの復活」の象徴として絵の中に

描かれるようになったのだとか。

おそらくクリヴェッリ描く胡瓜も、この「キリストの復活」を意味しているのだと

思われます。

 

でも現代の私たち(日本人)も、菊の御紋「十六八重表菊」を見ると

イコール皇室、天皇の紋章だなと思うのと同じ感覚で、中世のイタリアの人々は、

ウリ科の植物や果物を見ながら、キリストにまつわる様々な意味を

受け取っていたのでしょうね。

 

 


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