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エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

サド侯爵とラコスト城

長い間「積ん読」していたサドの『美徳の不幸』を少し前に

やっと読みました。

性を束縛し、それに従う事こそがカトリックの自然法則だとされる時代に

(現代も基本はそうでしょうけど)愛欲・快楽を追求したサド侯爵が、

バスティーユ監獄内で2週間で書き上げた作品です。

あらゆる虐待やとんでもない性癖が繰り返され(友人曰く『なんだか

これを読んでると性の運動会みたい』と。言い得て妙なり)
「神を殺す」というサドの信念も多々見られました。


ただ結局このような作品を書いておきながら、彼の最期は教会と和解し、

司祭も呼んだらしい、と聞くとなんだか「美徳」も、

「悪徳」の延々と続く彼のもっともらしい理論も、
現在のカトリック教会が抱える様々な矛盾と同じような感じがして・・・

 

余談ですが澁澤龍彦の翻訳が秀逸で、隠語が江戸時代あたりの言葉。
「埒をあける」が絶頂に達するだなんて(井原西鶴が使っていた?)
なかなか素敵だなと思いました。

 

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         (ラコスト村を眺める)


これを携えて、彼が所有していた南仏のラコストの城へも行ってみました。

サド侯爵はもともと劇作家になることに憧れていたそうで、
相当な芝居フリークだったらしいですね、なので、このラコスト城内でも
自作の戯曲を上演したり、本の中に描かれていたような有名なる

「性の饗宴」を開いたりしていました。
彼の20代後半はここで放蕩の限りを尽して散財に励んだそうです・・・
サドにとっては楽しい思い出が詰まった館、そして村ということですね。

 

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(すでに廃墟のラコスト城。眼下にリュベロン平野が広がります)

1791年9月の大虐殺の際、このラコスト城にも80人ほどの村民が侵入し破壊。
そして廃墟となりました。
今もその当時のまま風雨にさらされた姿でリュベロン平野を見下ろしています。
そのひっそり佇む姿がなんとも不気味・・・

 

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現在人口約400人という小さな村ラコスト。

観光シーズンの夏の夕方でも人影はほぼなかったので、それも増々不気味。

 

 

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ふと鐘楼に目が止まりました。後で知ったのですが、この鐘楼はフランス革命時には
すでにあったらしいので、この村、というか、この村の佇まいはすでに

200年以上は全く変わっていないんでしょうね。

人の気配も全くない村に迷いこんだ観光客の私は、一瞬時間がフランス革命時に

戻ったような、時間旅行をしているような気分になりました。

 

 


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