エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

両シチリア王国の戦う王妃

詩人ダヌンツィオに「厳格なバイエルンの小さな鷲」、作家プルーストには

「ガエータ城塞の戦う女王」と呼ばれた美しいマリア・ソフィア・ディ・バヴィエラ。

 

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バイエルン王家に属するバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフと
ルドヴィカ・マリア王女の娘として、1841年ミュンヘンで生まれました。

バイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフの娘といえば・・・

 

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あのシシィことオーストリア皇后エリザベートがとても有名ですよね。
このマリア・ソフィアはシシィの4歳下の妹にあたります。

 

ちなみに長女のヘレーネも合わせて、三姉妹ともそれはそれは美しいのです・・・

 

姉ヘレーネ

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シシィ

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マリア・ソフィア

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シシィやマリア・ソフィアになると写真まで残っているんですね。

絵画だと(女性の場合は特に)実物より少々美しく描かれているような気も

しますけど、彼女たちの場合は絵画でも写真でも、どちらも美しい~♪

 

話が逸れましたが、マリア・ソフィアが17歳の時、当時の王侯貴族の例にもれず、

オーストリアとナポリ・ブルボン家の関係強化のため、当時のカラブリア大公であり、

両シチリア王国の王太子のフランチェスコと婚約します。
彼らは携帯用の小さな肖像画を通じてお互いを確かめた、そんな状況だったようです。

 

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(色が濃い部分が両シチリア王国;1816年~1860年まで存在)

 

1859年1月8日、フランチェスコとマリア・ソフィアは結婚。
同年5月に両シチリア王フェルディナンド2世が亡くなります。

23歳の新王フランチェスコ2世と18歳の王妃マリア・ソフィア・ディ・バヴィエラが

誕生しました。

 

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美しい王妃に「悲劇」はつきもの・・・時代の混乱が彼女を次々に襲います。
時はイタリア統一リソルジメント運動まっさかり。

首都ナポリはガリバルディ率いる千人隊が押し寄せて解放をせまります。

王と王妃はラツィオ州の強固な要塞ガエータに立てこもり、王妃マリア・ソフィアは
ブルボン家最後の砦、ガエータを守る兵士達の士気を高め、自ら食料を彼らに
運んだり、負傷者の看護にあたったりしたそうです。なんと王妃みずから。

そして「戦う王妃」との異名をとることになります。

しかしその甲斐なく、1861年ガエータはとうとう陥落。
王と王妃はローマへ亡命しましたが、1870年にはそのローマもイタリア王国に

統一されます。

 

1869年、結婚後10年にして初めての子供を授かりました。
伯母にあたるシシィと同じ日12月24日に生まれたマリア・クリスティーナ・ピア王女。
しかし小さな王女様はたったの3ヶ月間しか、この世に生きる事ができませんでした。
それ以来、この王と王妃の間には子供が生まれなかったようです。

(が、マリア・ソフィアはその後、王以外の男性との子供を授かります!)

王フランチェスコ2世は1894年に亡くなり、王妃は王の死後ミュンヘンへ戻ります。
その後もパリへ亡命したりと、亡命生活を続けた時期もあったようですが
1925年ミュンヘンで没しました。

姉のシシィは1898年に暗殺されていますね。

バイエルン公マクシミリアン一家は「変人揃い」として有名!?だったようで
ウィーン宮廷からは疎まれていたそうです。
美男美女揃いの家系だったのに、それぞれの人生を顧みると悲劇が多く、

それを頭にとめて肖像画を見ると、どことなくもの悲しさが漂います。

 


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