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エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

ジョルジョーネの色調主義

16世紀、ヴェネツィアを中心とする北イタリアでは、フィレンツェなど

中部イタリアとは違う美術様式が生まれていました。

トスカーナ美術は素描が特徴で、ヴェネツィア美術のそれは彩色と言われます。

北イタリアではやはりレオナルド・ダ・ヴィンチの「スフマート」の影響が

非常に大きかったのだと思われます。

色彩と大気の様態の再現、油彩画ならではの豊かな筆致・・・

 

そうした技術をいち早く身につけ、ヴァザーリが「レオナルドの陰影の

精妙な味わいに感動し、生涯それを手本にした」と語ったヴェネツィア派の

代表ジョルジョーネをご紹介したいと思います。

 

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     (ジョルジョーネの自画像)

 

実は画家ジョルジョーネはその名声、影響力とともに甚大であったにもかかわらず、

その生涯について知られている事実は非常に少ないのです。また彼は作品にサインを

しなかったので、どれがジョルジョーネによるものなのかもハッキリとは分かって

いません。確実にジョルジョーネ作と確認されているのは、わずか6点ほど。また

生没年に関してすら先ほどのヴァザーリが記した『芸術家列伝』初版に1477年、

第2版に1478年生まれ、と書かれてあるだけです。

 

そのヴァザーリ曰く「ジョルジョーネは生まれは卑しかったが、終生礼儀正しかった。ヴェネツィアに育ち、常に女性を愛するのを好み、リュートを好み、彼がそれを吹き、歌を歌えば神的なもので、貴人たちの催す音楽の集いにしばしば召し出されるほどであった」と。こうした記述から、社交に長けていて、貴族からのプライベートな注文が

多かったことがうかがえます。

 

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また風景と人物が一体となった絵画を描いた最初の画家で、宗教や寓意、

歴史などの意味を持たない小作品という新しい絵画ジャンルの創始者でもあります。

上の絵も、一応タイトルは「3人の哲学者」ですが、未完だったのを当時の別の

画家が完成させたとも言われ、どこまでがジョルジョーネの筆によるかは不明です。

また主題すらも不明・・・3人いるので東方三博士を描いたという説があったり、

また哲学における流派を描いたという説があったり、色々な説があるのですが

どれも確実ではないようです。しかし注目すべきは、まるでこの絵画の主人公の

ように画面中央に広がる美しい風景。そして光と影による奥行き感。

色彩によって夕暮れのひと時を柔らかく表現しています。

 

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純潔のシンボルである月桂樹を背景にした若い女性の肖像「ラウラ」は

1506年の作品と言われています。伝統的なヴェネツィア絵画では「ラウラ」は

娼婦を暗示していました。この絵も胸をはだけている事などから、おそらく当時の

コルティジャーナを描いていると思われます。これを見て、ふと思い出すのが

レオナルド・ダ・ヴィンチの「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像画」です。

 

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月桂樹と椰子に囲まれたセイヨウネズ (ginepro) の小枝はこのジネーヴラの名前 (Ginevra) を示唆しています。こうした背景に樹木を描き、その人物を表現する

方法をジョルジョーネはおそらくレオナルドから学んだと思われます。
ジョルジョーネが、もしレオナルドの作品を見たとすれば、1500年にレオナルドが

ヴェネツィアへ行った時だったでしょう。その際にきっと交流があったに

違いありません。ジョルジョーネの自画像などを見ても、レオナル ドの「聖ヨハネ」を思わせる明暗法を感じさせます。

 

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上の肖像画には、なんと2人の若者が描かれていますが、おそらく2人同時に

こうして描かれた肖像画というのはジョルジョーネ以前にはなかなかないのでは

ないでしょうか。詩的な感じさえ漂うこの絵をよく見ると、手前の若者の手には

果物(だいだい)が・・・この果物は少し苦くて甘酸っぱいことから、

「メランコリー」を意味するそうです。なるほど、この若者のメランコリックな

感情を表現していますよね。私の美術史の先生がおっしゃるには、こうした手に

果物という構図はその後カラヴァッジョに受け継がれていくとのこと。

 

フィレンツェやローマでは15世紀以来、物語や歴史が美術における主題の最高位に

置かれてきました。これに対し、北イタリアでは古典や聖書の物語に束縛されない

自由な表現を求めています。トスカーナ地方にいたヴァザーリは批判的にそのような

作品を「幻想;ファンタジーア」と呼び、画家の幻想が物語や歴史から分離することを問題視していたようです。


しかしマントヴァのイザベッラ・デステなどはそのような「ファンタジーア」の作品を欲しがっていました。同じイタリアでも、北と中部、南部では色々と「好み」も違ったのですね。北イタリアでは絵画はまさしく「詩;ポエジーア」である、という評論家

まで現れたと言われます。


ここでまたヴァザーリは「ジョルジョーネは幻想の赴くままに人間を描き、芸術上の

表現にのみ心を砕いた」と。だからヴァザーリには判断がつきかねたという意味

でしょうか。

 

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ジョルジョーネによって1510年頃に描かれた「眠れるヴィーナス」です。

これはもう、主題自体が当時としては異例でした。なぜなら、一人の裸の女性が

野外に横たわり、これだけの大きさの裸婦画は前例がなかったからです。

柔らかな色彩でまとめられた、のどかな田園地帯を背景に眠るヴィーナスの姿、

この絵画の構成はその後、長きに渡って、こうした横たわるヴィーナスの伝統の原点ともなりました。

ただこの作品も未完だったので、ティツィアーノの手が入っているようです。

(私の美術史の先生は赤いクッションやシーツの部分がジョルジョーネの筆というより

ティツィアーノっぽいとおっしゃってましたが、どうなのでしょう)

 

ヴェネツィアでは現実の感覚的な経験や人生の享楽的な味わいが好まれ、光や色の

ぼんやりした色調を段階的にぼかす(スフマート)ことにより描いた絵を

浮かび上がらせる、重ね塗りの技法が非常に発展しました。それを色調主義と呼びますが、フィレンツェをはじめとするトスカーナ地方ではデッサンと明暗法、遠近法が

駆使されていました。同じ「ルネサンス」期といっても、地域によって違いが

あるのですね。


イタリアの著名な美術史家ロベルト・ロンギは「ジョルジョーネの偉大さは

色彩のくつろぎにある」と。素敵な言葉だと思いませんか。

 

 残念ながら、ジョルジョーネはペストにかかり、1510年頃に32歳(または33歳)で

亡くなりました。

 

 


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