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エゴチスムな日々

イタリアの閑暇そしてその悦楽

ラファエロ;巨匠からの影響

美術史では、1520年のラファエロの死を以て「ルネサンスの終わり」と

し、その後の様式「マニエリスム」へと変化していきます。

そんな一つの重要な区切りを担う画家ラファエロは1483年にウルビーノで

生まれました。

 

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彼の父親も画家であり、また母親は裕福な商人の娘で、その間に

生まれたラファエロは当時としては珍しく母乳で育てられたと

言われています。これはヴァザーリが『芸術家列伝』の中で

「ミケランジェロが母乳ではなく、乳母の乳によって育てられ、それが

石工の妻であったために彫刻家になった」という記述と対照してみると

面白いですね。

 

ラファエロの父は彼が11歳の時に亡くなり(母親は彼が8歳の時に

亡くなっていました)孤児になりましたが、その頃ちょうどペルージャの

ペルジーノの工房へ弟子入りすることになります。

 

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     (ペルジーノ作)

 

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    (ラファエロ作)

 

この磔刑図(上)は師ペルジーノのものですが、ラファエロは非常に

素描力に優れていたようで、どんな絵や技法であれ、直ちに自分の物に

できたのだとか。 この修業時代のラファエロの絵は師のペルジーノと

区別がつかないものが多いようです。下段の磔刑図はペルジーノの画風と

そっくりのラファエロの作品。師の優美な様式まで取得しているのが

分かります。

 

このブログで以前ご紹介した「聖母の結婚」にも、師と同じ様式に加え、

少し自分の画風を確立していくようなラファエロを見出すことができます。

egotisme.hatenablog.com

 

1495年頃からは師と一緒にウンブリアやマルケだけに留まらず、

ヴェネツィアにまで足を伸ばし、他の地域の芸術家たちと

交流をするようになりました。そこでラファエロの画風も少し変化が

表れます。

 

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1500年頃、北方の画家ヒエロニムス・ボスがヴェネツィアに滞在し、

イタリア人画家たちと交流していたようですが、そこに恐らくラファエロも

参加していた可能性があります。上の絵はそのヒエロニムス・ボスなどの

北方の影響と、ヴェネツィア派絵画の「光と影」の使い方が見受けられ、

優美さは残っているものの、ペルジーノの画風はどこかへ行ってしまったような

感じです。

 

その後ラファエロはルネサンス文化の中心フィレンツェへ行きます。

そこで巨匠レオナルドとミケランジェロの作品に遭遇するのです。

 

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  (レオナルド;聖アンナと聖母子)

 

ラファエロはレオナルドから人物の動作や表情、しぐさなどを学び、

ミケランジェロからは古典的なバランスを学んだと言われています。

このレオナルドの「聖アンナと聖母子」の絶妙なピラミッド型の

幾何学的な構図の中に人物が配置され、安定感が表現されているのを

ラファエロは自分の作品にどんどん取り込んでいきました。

 

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   (ラファエロ;牧場の聖母)

 

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 (レオナルド;岩窟の聖母の部分)

 

ラファエロの聖母子の典型的なピラミッド型構図や人物の動作など

レオナルドからの影響が色々と見られますね。

聖母の微笑みも、レオナルドのそれと酷似しつつも、レオナルドのような

神秘性はなく、ラファエロ特有の優美さが加わっている感じです。

 

またミケランジェロからの影響も大きく受けています。

 

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      (ミケランジェロ;ピエタ)

 

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       (ラファエロ;キリストの埋葬)

 

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デッサン力のあったラファエロはミケランジェロの彫刻を何度もデッサンし、

そして自分の作品に反映させていったことがよく分かります。

この「キリストの埋葬」で、キリストの足を持っているニコデモの身体は

まるでミケランジェロのダヴィデ像のようにたくましい肉体美で描かれています。

ここまでくると、もはや師だったペルジーノの画風とは全く違っています。

 

ミケランジェロはこうしてすぐに技術等を身につけて作品を仕上げる

ラファエロのことを「真似ばかりして気持ち悪い」と敬遠していたのだとか。

 

巨匠からの影響を次々と受け、その技術や画風を自分なりのやり方で表現していった

ラファエロですが、わずか37歳という若さで生涯を閉じました。

 


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